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七十二候

第84章 及川編#9


 女の子を振るというのは、どんな相手だって少しは嫌な気持ちになる。相手を傷つけるという行為に変わりはないし、傷つけた分、自分にも跳ね返ってくるから。
 カミラの気持ちは嬉しいけど、萌以外に考えられなかった。だけど、萌の音楽の妨げにはなりたくなかったし、こんな俺では萌に相応しいのか自信はない。

 年が明け、萌は正月を地元で過ごした。青城の懐かしい同期たちと楽しそうにしていて、心から羨ましかった。
 シーズンが終わったら、日本に帰ろうかな。だけど、その前にこの問題を解決させたいと思っていた。そんな中、萌から「電話したい」と連絡を貰った。
 アルゼンチンはまだ暑いというのに背筋が凍った感覚になる。一体なんの話だろうか。
「徹。お疲れ様。帰って来たところ?」
「おはよ。うん、帰って来たところだよ」
「最近、調子はどう?」
「あー……うん……」
「その……大丈夫……?」
 大丈夫?というのは、試合のことだろうか。萌のことでうんと悩んでいることがきっと原因なんだけどな。
「まぁ、苦しいよね。上手くいってないんだ」
「そっか……というかやっぱり……というか……」
「萌はどんどん成長して、努力して、結果を出して……本当にかっこいいし、尊敬するよ。ちょっと眩しいな」
「え……」
 つい本音を漏らした。悟られまいと明るく話したつもりだけど、ここまで弱気の俺を萌は見たことがなかったに違いない。
「俺、萌に相応しいかな……」
「何言ってんの! 私は徹のこと好きなの。それだけじゃダメ? それに、私は徹を尊敬してる。ずっとだよ」
「……俺」
「あ、練習の時間が来ちゃった。続きはまた今度でもいい? 私から電話したいって言っておきながらごめん」
 こんな俺を尊敬していると、今でも言ってくれる。期待に応えたい。
 だけど、未熟な自分が許せなかった。感情的になりそうな自分を何とか抑え、言おうとした言葉を呑んだ。
「とにかく! えーと……この言葉を贈ります。」
「神がもし、世界でもっとも不幸な人生を私に用意していたとしても、私は運命に立ち向かう」

「誰かの名言?」
「ベートーヴェンの言葉。この人こそ逆境に立ち向かった人だよ」
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