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七十二候

第83章 及川編#8


 話には聞いていたけど、公演の多さに改めて驚かされる。練習は基本的に週1回だけど、本番前は3日前から強化練習が入ったりもする。ただでさえ練習する曲が多いのに、他の音楽活動もするとなると、いつ休みがあるのだろうと心配になる。
 あの人が大窪さんか、常任指揮者、意外と明るくておもしろいな、などいろんな発見があったけど、何より面白かったのは、新人の萌の練習中の様子だ。今はさすがに慣れているのだと思うけど、このときの萌は練習中も緊張した様子だった。
 指揮者のギャグにもひとりだけ気がつかず、楽器にスワブ(管内の水分を取る布)が通らずにもたもたとしていたところをテレビに映されていた。そんな間抜けな姿をカットしてあげなかったテレビ局側は悪い。面白かったけど。
 だけど、事務局のアルバイトの人と一緒に事務作業をしたり、一生懸命演奏をしている真剣な顔をした姿には胸が高鳴るものがあった。あ、やっぱりこの顔好きだな、と。
 こんな顔ができるのは、今の環境がそうさせているんだ……と思うと、萌の答えを待つことにしたという決心が鈍りそうになる。
 俺の傍にいて欲しいという思いもあるけど、萌の幸せを奪うことはできないという思いもあった。

 萌はその後の音楽コンクールも、本選に難なく進んで見せた。155人中5人が本選出場を果たした。これだけでも快挙なのだ。
 萌のすごいところのひとつに、コンクール会場やたくさんの奏者が集まる会場で、周囲から「雨宮萌だ」と噂されていても、気がつかないことがある。たぶん、気にしてもいない。昔からそうだった。
 高校生の時に出た音楽コンクールを聴きに行ったとき、俺は萌に「みんな、萌のこと見てるよ?」と言ったことがあったけど「徹を見てるんじゃない?」と返されたことがある。その勘違いはさすがだ。
 萌はコンクールは自分との戦いだと割り切れる人。他人のことを気にすることなく、自分と向き合うことができる人。俺と違って、昔から随分と達観していた。俺は未だにウシワカにことも飛雄のことを忘れてはいないのに。飛雄なんて今でもちょっといじわるしてしまうかもしれない。
 だからきっと、本選も大丈夫だ。
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