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七十二候

第79章 及川編#4


 8月中旬の夏休みのある日。汗だくで部活から帰って来たら、萌のお母さんが家に来ていた。
「萌、どうやらスランプみたいで。全然吹けなくなってしまったようなの」
「え!?」
「仲田先生から連絡があって、休ませるように言われたのよ。萌はお昼前に帰されて来たんだけど、ずっと意地になって吹いているの。私の言うことを全然聞いてくれないから、徹くん、萌を止めて欲しいんだけど……」
 息を呑んで驚いた。もうすぐ東北大会なのに、スランプとは。萌を助けたかった。少なくとも、今は練習したっていいことがないのは明白だ。すぐに休ませなくてはならなかった。
 確かに、体育館から聞こえた今日の萌の演奏はいつもと違った。弱弱しくてとても苦しそうだった。
 俺はすぐに萌のお母さんと萌の家に向かった。
「バカ! 休めよ!」
「吹けてないのに休めない! 来てくれてありがとう、でも帰って大丈夫だから」
「そういって帰るわけないでしょ」
「もう……じゃあどうすれば……」
 萌が泣きそうな顔で項垂れていた。分かるよ。吹けなくて焦る気持ち。部長であり、ソリストという立場ある身なのに吹けない自分が許せないんだろう。悔しいんだろう。
「ほら、いいから。ひとつひとつ整理しよう。萌に必要なのは練習じゃない」
 スランプの理由は分からない。だけど、メンタルが原因であることが多い。
「……最近何かあった?」
「ええと……高3でいろんなことが最後になるのと、東京に行ったらみんなとお別れになるのを再認識したんだ」
 高校を卒業したら俺たちはどうなるのか。分かっているようで、まだ実感が湧かない。それは俺も同じだ。最後だから、悔いのないようにしたいという気持ちと、絶対失敗してはいけないという気持ち。なのに、現状は納得のいく演奏ができていないという焦りがあったのだろう。
「……それでやる気が空回りしてる感じ?」
「そうなのかな。空回りもあるし、上手く吹けていない焦りもあったのかな」
「何も最後じゃないんだよ。高校では最後でも、今やってることって通過点なんだよ」
「通過点……」
「俺たちは高校で終わるわけじゃない」
「うん……そう、そうだね」
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