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七十二候

第78章 及川編#3


 この頃、萌が練習していたのは吹奏楽コンクールの曲だ。今まで聴いたことのないような狂暴な曲。先日の定期演奏会でも演奏していたが、初めて聴いたときは度肝を抜かれた。
 萌はソロを演奏するが、人の悲鳴のような声をクラリネットで表現したり、強めの主張のあるメロディをたくさんの特殊技法を用いて演奏する。何かに追われるような、最後まで緊張感が絶えない曲だった。
 そのメロディも、家で歌っているのかなと思うと、ちょっと想像ができなかった。いつも綺麗だったり、楽しかったり、悲しい曲だったりを演奏していたけど、こんな乱暴な曲をあの萌が演奏しているのが不思議だった。

 萌はやっぱり、そんなソロに悩んでいた。
 吹奏楽コンクールの県大会は無事1位となり東北大会に進んだが、ずっと浮かない顔だった。県大会の後、学校に残っていた萌に、岩ちゃんとオレンジジュースを持って話しかけに行った。
「ジュースありがとね。自分のソロがイマイチ」
「狂ったようにずっと吹いてたあれか」
 俺は聴きまくって覚えた萌のソロを歌ってみせた。
「それそれ。意味わからないメロディなのに覚えてるのすごいね」
 萌が目を丸くして驚いていた。そりゃそうだ。毎日聴いてたんだから。
「俺だったら緊張して吹けないよ。ひとりで吹くんでしょ? 怖すぎるって」
「徹なんて絶対平気でしょ。ソロはバレーボールでピンチサーバーを務めるようなもんだよ」
「なるほど……」
 岩ちゃんも妙に納得がいったようだ。ソロはその名の通り、ひとりで演奏するもの。サーブはバレーの中では唯一孤独になるプレーだけど、全員にその役割は回ってくる。ソロはむしろ、たった一人に与えられる責務であるピンチサーバーと意味合いが似ていた。責任が重くのしかかる。
「そういう局面では二人は何を考えてる?」
「成功イメージしか考えてないよ」
 こればかりは自分が納得いくまでやるしかない。練習で成功を重ねて、成功イメージが持てるようになるまでやるしかないのだ。
「さすがです……。その精神力分けて欲しいよ。ソロでコンクールに出ていたりして場数を踏んでいても緊張するものはするよ」
「歌うときって、別に緊張しないでしょ? 緊張するのは、何かを背負っているときだけだよね。あるいは不安があるとき」
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