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七十二候

第72章 桜始開(さくらはじめてひらく)


 アルゼンチン行きがこんなに早く決まるとは思っていなかった。スペイン語も分からないし、英語はほとんど通じないと聞く。南半球だし、太陽の軌道が違うし、季節は逆だし、私の音楽が通用するのか分からない……。
 と、いろいろダメな理由を考えてみるけど、それでも徹が一緒なら乗り越えられる気がした。それはいろんな人から教えてもらった事実だった。
 何よりも、好きな人と隣に並んで、同じ夢が見たかった。
 私はおずおずと徹の背中に腕を回す。すると、徹が私を見つめた。私の言葉を待っている、熱を帯びた瞳だった。
「うん、アルゼンチンへ行くよ。よろしくお願いします」

「やった……!」
 徹は掠れた声で安堵した。徹の身体から力が抜けるのが分かった。安堵したとたんに手が震えだしていて、少し可愛く思えてしまった。徹も緊張してたんだ。

「……じゃあ、左手、出して?」
 私は戸惑いながらも左手を出す。まさかと思ったけど、徹は婚約指輪を用意してくれていた。
 私の左手の薬指に指輪がするっとはまった。ダイヤのシンプルな指輪。
「綺麗……なんでサイズ分かったの?」
「高校から変わらないって言ってたじゃん」
「そんなこと覚えてたんだ……」
 胸がじんわりと温かくなる。指輪をはめてもらったこの感触は一生忘れないと思った。
「萌……愛してる」
 徹は私の肩に手を置く。徹と目が合う。慈しむような瞳。私を大切そうに見つめてくれる。
「私も、愛してる」
 私たちはどちらからともなく、キスをした。
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