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七十二候

第67章 草木萌動(そうもくめばえいずる)


 そう言って長いようで短いキスをして、徹を見送った。電車が見えなくなるまで。

「……バイバイ、またね」私は最後まで手を振った。


 曲が完成し、私は鈴川先生に感想を伺いに赤ワインの手土産を持参して先生の自宅を訪れていた。今日も若くてそれでいて美しい奥様がお茶を出してくれた。
「いいじゃない。素晴らしい」鈴川先生が譜面をしばらく読み込んでからそう言った。
「ありがとうございます。とりあえず完成してよかったです」
「これは季節を題材としているけど、変化が目まぐるしいし、なんだか複雑だね」
「はい。季節も、その時々の人の感情も決して一定ではない。季節の変化と共に歩む人生にはたくさんの分岐がある。どんなに苦しい道を選んでも後悔なく前を向いて歩こう……。そんな願いを込めました」
「へぇ~素敵! 季節を複雑に捉えたのはすごいな……これはリリースするの?」
 リリース……世に出すということ。そんなことは考えてなかった。
「売り物にするとか、考えてなかったですね……」
「これ世に出して広めよう。雨宮さんの記念すべき1作目」
「1作目……」
 先のことは考えていなかった。でも、作曲のスキルがあればAKIみたいにどこでも仕事ができる。
「この曲を演奏して、届けたい人がいるので、その人を感動させられたら、譜面をリリースしてみます」

 あぁ、良かった。一度曲を作り直してからあっという間に完成させた。きっとまだまだ荒削りだけど、今できる精一杯のことはできた。先生からもお墨付きをいただけた。次は演奏して形にする番だ。
 もうすぐ春がやってくる。花が咲く。生き物が活動的になる。春の力を借りて、私はこの音楽をすぐにでも徹に届けたかった。
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