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七十二候

第64章 魚上氷(うおこおりをいずる)


 風邪の完治には1週間かかったが、無事仕事復帰をした。
 昨年の音楽コンクールの受賞者演奏会の練習のため、前田くんと秋田先生の自宅でレッスンを受けた。
 レッスン後、前田くんには先に帰ってもらい、私は秋田先生に相談する。
「……先生、海外ってどう思いますか?」
「海外で演奏活動するということ? それはやるべきだよ」
 秋田先生はコーヒーを淹れながら答えた。即答だった。
「それが……ヨーロッパとかクラシックの本場ではなくて、アルゼンチンなんですけど……」
 私はコーヒーをいただき、先生にもあまり話してこなかった徹との現状を説明した。
「……なるほど。アルゼンチンはタンゴの国だけどクラシックがないわけじゃない。世界の音楽を学ぶことは確実に力になる。やがて萌にしかできない音楽になるんじゃないのかな」
「私の……音楽……」
 中学から学んできたのはクラシック音楽。現代曲では特殊奏法はあるものの、クラシックの奏法で演奏することが基本だった。リズムも違えばコード中心の楽譜で、クラシックとは全く異なるジャズと縁がなかったように、タンゴもその奥深さをまだ理解できていない。
「好きな人の国の音楽、知りたくない?」
「知りたいです……それは……」
「どんどん海外に出て影響を受けて欲しい。日本だけではなくて、海外にも通じる奏者にならないと、日本はどんどん世界から置いて行かれる。フランスで3位をとった萌が自ら進まないと、日本の他の奏者は誰も付いて行かないよ?」
 そんな大それたことを言われてもピンと来ないが、成長をするにはそういった道が必要なのだと理解した。
「……フランスで思ったのは、日本の演奏は空気を読むことが上手いというか……綺麗だけど、平坦で、海外の人たちは自己主張が激しいことでした」
「日本では美徳とされるけど、それは日本でしか通用しない」
「はい。そう思いました。でも日本で演奏するだけならいいのかなと思ってしまっていました」
「まぁ、言いたいことは分かるよ」

 ここで時計が18時を告げた。
「あ、今日は息子が帰ってくるから、そろそろ支度しないと」
「あぁ、そうだったんですね」
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