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七十二候

第62章 東風解凍(はるかぜこおりをとく)


「だから、いろいろ考えたけど、やっぱり別れたいんだ……」

 ああ、言われてしまった……。どんなにコミュニケーションを取ろうとしても、もう徹には届いていなかった。既に徹は決心していたんだろう。
 徹をひとり苦しめてこんな風にさせちゃったのは私のせいだ。きつく目を閉じると、湛えていた涙が頬を伝った。

 押しつぶされてしまいそうな沈黙の中、私は口を開いた。
「私、徹を、かっこいい、尊敬してると一方的に言って、弱音を吐けなくさせちゃったんだよね。苦しめちゃったね……ごめん……」
 私があまりにも徹に憧れたせいで、徹は私の理想の徹でいようとしたのかもしれない。それが苦しくなってしまったのだと思った。
「ううん……俺のことで萌を困らせたくないっていうか……萌はこれからもっと羽ばたく。俺のことで気を遣わせる時間がもったいない」
「え……?」
「もともとね、辛くても別れるつもりだったんだよ。でも、萌が何度も別れないって言ってくれた。俺とのことを一生懸命考えてくれているのを分かったから、待つことにした。だけど、やっぱり萌は日本でプロになるべきだ」
「ま、待って徹……」
「日本で仲間ができて、伴奏の彼みたいな尊敬できる人が傍にいて。日本でも十分やっていけるのに、無理に移住を勧めることはできない。12月のリサイタルを聴いて、確信したんだ」
「待って……海外に挑戦しないなんて言ってない……私はまだ自分の実力が分からなくて、今の環境を精一杯頑張ろうとして……」
「フランスで入賞できる力があるのに、何を怖がってるの? 萌は自分を信じなさすぎるよ」

 だって……海外で成功しているプロがどれだけ少ないか。ましてや日本国内でも音楽で食べて行ける人はほんの一握りなのに、とんでもない化け物でもない限り海外なんて普通に考えても無理な話だ。
 言い訳はたくさん思いついたけど、勇気を出して海外に飛び出した徹の前では、そんな言い訳は戯言に過ぎなかった。
「徹は、本当は私にどうして欲しい? 遠慮とか抜きにして、本音が聞きたいの」
「……そばにいて欲しい。でも、無理だ」
 よかった。それが聞けて安心した。きっと、本当に私ことを想っての行動なんだと確信が持てた。
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