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七十二候

第53章 乃東生(なつかれくさしょうず)


 徹がまっすぐ私を見た。固く決意をした顔。これは嘘でも冗談でもないということが分かる。頭が真っ白になった。
「や……だ……いやだよ……」
「でも、ごめん……。ブランコ監督に師事するって決めたから、俺もついて行くしかないんだ」
「…………っ」
 徹は以前からブランコ監督の元でバレーを教わりたいと言っていた。
「俺、いつ帰ってくるか分からないんだよ? 萌のそばにいてやれないんだよ? 萌に辛いことがあっても、俺は何もしてあげられない。それなのに彼氏面するなんて酷いことはできないよ」
「それでも嫌だよ! ねぇ、本心で別れたいって思ってる?」
 私は声を荒げて言った。辺りは温かい光で包まれているのに、もはやそれは美しいと思えなかった。眩しくて、徹がかすんで見えた。涙のせいでもあった。
「好きに決まってるじゃん……! どれだけ長い間片思いしてきたと思ってんの。萌を幸せにするのは、俺がいいに決まってるよ……」
 気づくと徹の頬にも涙が伝っていた。

 来年、春に高校を卒業したら徹はいない。いつ戻ってくるのかも分からない。でも私のことを想って別れようとしていることは理解した。だから………。
「徹がいなくなるのは寂しいよ。寂しいけどさ………。例え徹が宮城の大学を選んだとしても、私は東京を選ぶよ。それと一緒じゃん。それが東京という次元じゃなくて、アルゼンチンになって距離が遠くなっただけだよ」
 私は徹の両手を握って続ける。徹の手は震えていて、とても冷たかった。
「アルゼンチンがどのくらい遠いのか、どんな国なのか全然分からないけど、メールも電話もできるし、飛行機に乗れば会いにもいける。無理なことなんてない」
「いや、でも………簡単には会えないよ………」
「私だってプロになるために今から4年間は今以上にクラリネットに、音楽に向き合うことになる。今みたいに毎日徹と顔を合わせるなんてことは確実になくなる。徹が日本にいたとしてもだよ。徹もバレーをどこで続けたとしても、今以上にバレーに専念するでしょ?」
 私は必死だった。徹と離れたくない一心で徹を説得する。
「………俺は何か成果を出して、何か答えを見つけるまでは日本に戻らないよ? 何年かかるか分からないよ………」
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