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七十二候

第47章 虹蔵不見(にじかくれてみえず)


「寒いねぇ」
 私がそう言うと、徹は私の手を握りながら自分のコートのポケットに入れてくれた。
「……あったかい」
 照れ隠しにそっけなく言ってしまった。けど、徹もたぶん緊張していた。
「萌。将来ってどんなクラリネット奏者になりたいの?」
 寒空の下、ベンチに座ったところで徹が聞いた。
「そうだなぁ。秋田先生や大窪先生みたいに演奏が上手で素敵な人になりたいなぁ。で、私の演奏が誰かの心を動かしたら最高だよね」
「そっかー。それは日本なの?海外は考えたことある?」
「海外? 考えたことなかったな。だって世界をまたにかけて活躍する奏者って、とんでもない化け物だらけだよ。若い頃から活躍するような。私はそこまでの才能はないなぁ」
「自分はここまでだって決めつけるのはまだ早いよ」
「まぁ、そうだね……」
「自分の上限はすべての正しい努力を尽してから決めるべきだ」と、徹が以前言っていたのを思い出した。
「萌の音楽を海外の人が喜んで聴いてくれるかもしれないよ?」
「そうか……そうだといいけど。徹はいずれ海外で活躍したいって言ってたね」
「うん。俺は海外、見据えてるよ」
 徹の手に力がこもった。
「俺と萌。ふたりで海外狙えたらかっこいいのにな」
「私にそんな力があったらいいな。英語ちゃんと勉強しなきゃ」
「英語、スペイン語、フランス語……何か国語習得しなきゃいけないんだろうな」


 いずれそんなこともあるかもな、としか考えていなかったけど、このとき徹は既に海外を視野に入れていて、そして二人の将来のことを見据えて、私に海外はどう?と聞いていたんだ。

 “自分の上限はすべての正しい努力を尽してから決めるべきだ”
 高3の徹に教えられた言葉。あのときはどこで生きていくなんてどこか非現実的で、私は案の定、当たり前のように日本を選択した。今になって徹の言葉が鈍く響いた。

「わっ!」
 鍋が噴きこぼれた。
「あーあ。ちゃんと見てなかった……」
 自分に上限なんかない、と信じて前だけ見ている徹に追いつくには、私も上限を決めつけずに進む必要があるんだ。とても、とても難しいこと。
 コンロの火はまだゆらゆら燃えていた。
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