第9章 揺蕩う幸福
「消太さんのこれだよね」
結は机の上に置いた弁当の蓋を丁寧に開けた。
湯気がふわりと立ちのぼり、部屋の空気に香りが溶けていく。
そのまま何のためらいもなくスプーンにひと口分を掬った。
差し出されたスプーンの先は相澤の口元を指している。
相澤は困惑を隠しきれず、眉間にわずかにしわが寄った。
「はい、どうぞ」
その言葉に合わせて、結は笑みを浮かべながらスプーンを揺らし、小さく「あーん」と声を添えた。
動作に強引さはないが、断る隙も与えないほど自然だった。
「他に方法は……ないか」
「あとは、ひざしさんに食べさせてもらうしか……あっ」
相澤は顔を引き締め、恥ずかしさを堪えて口を開いた。
そして、目を閉じて静かに咀嚼する。
味わいながらもどこかぎこちない動作だった。
一方、結は相澤の反応に満足したように、嬉しげな表情を浮かべていた。
山田もまた、二人の間に漂う柔らかな空気を察し、何も言わずに袋の中身をいじり始めた。
食事を終え、山田は腰を上げた。
成人男性の風呂を女子高校生に任せるわけにはいかないと、自ら世話役を買って出たのだ。
ほどなくして、風呂場から相澤が戻ってくる。
その表情は出ていったときよりも不機嫌そうで、聞くまでもなく、風呂場で何かしらの苛立ちが生じたことは明白だった。
肩をいからせ、足取りは妙に荒く、湿った髪からぽとりと雫が落ちた。
「そーだ、結ちゃん。コイツ、本当は明日の朝に退院予定だったんだぜ? 早く帰らせろって聞きやしねェの」
「おい、余計なこと言うな」
「素直になれって! 心配で心配で、夜もおちおち眠れなかったって――」
山田のからかい混じりの声が突如として掻き消えた。
代わりに「デジャヴ!!」という口の動きだけが大げさに残り、ジェスチャーで両腕を振り回す。
不自然な静けさが、かえって彼の動きを際立たせる。