第9章 揺蕩う幸福
結は急かすように「いいのかな?」と相澤に問いかけた。
相澤は口を尖らせ、遠くを見つめながら頭をひねり、大袈裟に深いため息をついた。
「……勝手にしろ」
その声は冷たかったが、結は満足げに大股で進み始めた彼の後ろ姿を追った。
日中は車や人が多い大通りもこの時間帯は静まり返り、まだ眠気が残る朝の空気が二人を包んでいた。
どこかの家から聞こえる目覚まし時計のアラーム音が、空気の静けさを一層際立たせていた。
「生徒に見られたときの言い訳を考えておけよ」
「はーい」
相澤に念を押されたが、結はそのことを頭の片隅に追いやっていた。
犬と散歩する老人に挨拶を返しながら雄英高校へと向かっていく。
登校時間よりも半時間ほど早く教室に着くと、まだ誰の姿もなかった。
普段の賑やかさが嘘のように静まり返った教室は、まるで別の世界のようだった。
薄暗い教室に差し込む朝の光が机や椅子に淡い影を落とし、孤独感がじわりと押し寄せてくる。
結は一人きりでいることの寂しさを強く感じていた。
窓の外から聞こえる鳥のさえずりが、ぼんやりとした結の頭に眠気を誘いかけてきた。
心地よいリズムに抗う力も残されておらず、机に顔を伏せ、わずかな休息を取ることにした。
目を閉じると昨夜の出来事や今朝のやり取りが思い出され、心がじんわりと温かくなっていく。
それも束の間のことで、すぐに深い眠りに落ちていった。
教室には小さな寝息だけが響いていた。