第9章 揺蕩う幸福
「そーだ、結ちゃん。コイツ、本当は明日の朝退院だったんだぜ? 早く帰らせろって聞きやしねェの」
「おい、余計なこと言うな」
「素直になれって! 心配で心配で、夜も眠れなかったって――」
山田の声がふっと掻き消え「デジャヴ!」と、大げさに口を動かすだけで音は出ない。
不自然な静けさが、かえって彼の動作を際立たせた。
「俺だけ、呑気に寝ていられるか」
相澤の声音は低く、短いのに重さを残した。
机に並ぶ菓子やアイスへ視線を向け、賑やかに散らばったそれらをひと通り見渡す。
素っ気ない一言の奥に、責任と焦りが滲んでいた。
「それもそーだけどよ。ずーっと結ちゃんのコト気にしてたじゃん? な?」
「私?」
山田に振られ、結はアイスを選ぶ手を止めた。
相澤の視線がわずかに揺らぐ。
それを捉え、結は真っ直ぐに彼を見つめた。
「……俺は教師である前に、保護者代理だ。あんな姿を見せて、一人にして、嫌な思いをさせた。心配するのは当然だろ」
「そーやって最初から言っちまえばいいのに」
口数の少なさには慣れているはずの山田でさえ、呆れたように笑った。
相澤と結は隣り合って座り、一人は包帯の下で不満を隠せず、もう一人はどこか嬉しそうだった。
出会った頃には想像もできなかった距離が形を成していた。
そんな様子に、山田は勢いよく立ち上がると、拳を高く振り上げた。