第9章 揺蕩う幸福
「敵と戦ったんだってな。あのあと、13号とはぐれたのか」
「うん……敵の靄の個性で、みんな散り散りになっちゃって。でも、近くに切島くんと爆豪くんがいて、助けてくれたよ」
相澤の表情がわずかに緩み、安堵の色が目に宿る。
結はゴミ箱に寄ってから、生ぬるくなった水と牛乳を冷蔵庫へ戻した。
「水買うなんて珍しいな」
「これは爆豪くんにもらったの。牛乳買いに行った途中でばったり会ってね、荷物も持ってくれたんだ」
「爆豪が? 意外だな」
信じ難いと言わんばかりに眉を動かす相澤に、結は小さく笑った。
二つのコップを机に置き、彼の隣に腰を下ろす。
微かな麦茶の香りが二人の間にふわりと漂った。
ふと気づけば、彼の視線はコップの方へ向いていなかった。
「右手の怪我、治してもらったのか?」
その問いに結の肩が小さく跳ねる。
思わず、ゆっくりと顔を背けてしまった。
平静を装うだけで精一杯だった。
「山田から聞いた。さっきから右手を庇ってるよな。その反応だと、まだ痛むのか」
「だ、大丈夫だよ。ちょっと痛いだけで」
「婆さんはなんて?」
「け、経過観察するしかないかなーって……」
相澤の鋭い視線を避けつつ、結は「ほら」と笑って両手を広げて見せた。
痛みを押し隠し、変わらないふりをして。
彼にこれ以上心配をかけるわけにはいかない。
普通でいなければと思うほどに、相澤がどこまで見抜いているのかが、少しだけ怖かった。