第8章 孤独を満たす
「まったく、手間を増やさんでおくれ」
「失礼……ああ、二人とも治療は済んだみたいだね」
すると、黒いリュックを提げた塚内が扉から顔を出した。
結にそれを手渡し、昇降口まで送ると言う。
結はリカバリーガールへ礼を述べると、緑谷に小さく左手を振って保健室を後にした。
「家まで送れなくてすまない。本当に一人で大丈夫かい?」
「はい。……色々とありがとうございました、塚内さん」
「なんてことないよ。それじゃあ、また。気をつけて帰ってね」
校舎の前で塚内と別れ、結はひとり通学路を歩き始めた。
夕空は茜から群青へと移り、風は次第に冷たさを帯びる。
見慣れた住宅街の景色でさえ、今日の結にはどこか遠い世界のように感じられた。
いつも塀の上で日向ぼっこをしていた黒猫の姿も見えない。
「……ただいま」
掠れた声で呟き、結は壁に手を添えて家へ入った。
灯りを点ける気力もなく、玄関の鍵をかけることさえ忘れたまま、ソファへ身を投げ出す。
ひんやりとした空気が肌に触れたが、それすら意識に引っかからない。
不用心だとわかっている。
だが、相澤が夜中にでも帰ってきてくれるのでは、という淡い期待だけは捨てきれなかった。
――今日の出来事が、すべて夢であればいいのに。
静まり返った部屋には、暗闇だけが寄り添っていた。
心も体も限界を迎えた結の意識は、細い糸がふっと切れるようにして深い眠りへ落ちていった。