第2章 安堵の時
安堵の時(伏黒恵)
任務自体は大した事件でもなかった。ただ少し時間が押した上、帰り道の渋滞で、予定よりも3時間以上遅くなった。加えて車を降りてから傘もなく、雨の中で巫山戯る棘のせいで、全身ずぶ濡れだ。
軽口を叩きながら寮の扉を開け、水を吸って重くなった靴を脱ぎ捨てる。
「心配して損した!」
今にも溢れそうな涙を堪えた凪の、震える声に、恵も棘も、一瞬で殊勝な顔つきになる。
心配かけた、遅くなって悪かった。色々な言葉が思い浮かんでは、どれを言うべきか悩み果てて、全部飲み込んでしまう。一通り困った末、言葉よりも先に手が出た。
俯く彼女の頭に、手を乗せる。しかしすぐに軽率だったと眉根を寄せた。ずぶ濡れの恵からぼたぼたと滴り落ちる雫で、凪まで濡れてしまいそうだ。
「た…ただいま」
何か言わねばと出た声の情けなさに、顔が熱くなる。待っていてくれる人に、気の利いた言葉ひとつかけられない。
凪を慰めようとする恵の背後から、元気な「ツナマヨ!」と共に、膝に衝撃を受ける。いわゆる膝カックンに、ぐるぐると渦巻く恵の思考が、スッと冷えた。
濡れ散らかす棘の服に掴み殴りかかると、濡れて滑った足が浮く。揃って受け身を取りながら、廊下を転がった。
「霧ちゃんは、お風呂にも入らずに待ってました!」
暴れ回る2人の前で、凪が腕を組んで、仁王立ちをしている。床の上で掴み合っていた姿勢から、絵に描いたような正座になった時、「おかえりなさい、今日はお風呂が先ですね」と霧の声が聞こえたお陰で、凪のお怒りは和らいだ。
そっと差し出されたタオルを受け取り、顔を拭く。タオルの隙間から見えた凪は、まだ、泣き出しそうな顔をしていた。