第3章 それは悲喜交々とした恋の歌
「まって、ベリアン!……行かないで。」
思わず、その手を掴んでいた。
私の力なんて簡単に振りほどける筈で、彼は簡単にそれが出来る筈なのに、それをしようとしないのは彼の優しさだろうか。
しかし、俯いたまま、ベリアンは私の事を見ようとしない。
また、ぎゅっと胸が切なく痛んだ。
いつもなら、すぐにあの優しい笑顔を送ってくれるじゃないか。
溢れんばかりの喜びを隠そうともせずに、私の事を呼んでくれるではないか。
私は出来るだけ優しく、腫れ物を扱うかのように、その横顔に声を掛けた。
「お願い、ベリアン……こっち向いて。」
「……なりません。私は……主様に、あのような…顔を合わせる資格すら無いのでございます。」
今にも消えてしまいそうな声だった。
震えながら、振り絞るようにして聞かされる言葉に、私は必死に首を振った。
「まってベリアン。あの時、私…ビックリしちゃっただけなの。その、逃げちゃってごめんなさい、あの……嫌じゃ、無かったから…。」
「あ、主様……いや、い、いけません、その様なこと…。」
私は顔を背け逃げようとするベリアンの正面に立ち、その両手をギュッと握った。
目を背けないで、逃げようとしないでと、未だ俯いたまま此方を見ないベリアンに、ずいと距離を縮めてみせた。
「っ……私は、こんなにも美しく着飾った主様が、私ではない誰かの手を取るのを見ただけで、執事としての責務を投げ出し、逃げ出すような人間なのです。……それに、私は決して許されないことを致しました。もう、主様の隣に立つべきではないのです。」
相応しくないのだと、そう言うベリアンは震えているようだった。
ぽつりぽつりとこぼれ落ちる、彼の心の声が、ゆっくりと私の手の中に落ちてくる。それを、ひとつひとつ、決して落とさぬようにと受け止めながら、真っ直ぐに彼を見る。
「そんな……ずるいよ、ベリアン。私は、ずっとベリアンのことを考えてたよ?ハウレスといる時も、ルカスといる時も、フィンレイ様と踊ってる時も……ずっとずっと、ベリアンの事を考えてたよ!」
ベリアンが、ハッとして息を飲む音がした。
「……だから、相応しくないだなんて、そんなこと言わないで。」
囁くように、彼にだけ届くように、そっと優しく囁いた筈の声は、酷く震えていて、私までも泣きそうになっているのだということに今気が付いた。