第3章 それは悲喜交々とした恋の歌
私を見詰める、その漆黒は静かに笑っていた。早くしろとでも言うその表情にハッとして、すぐに辺りを見回した。
ルカスも、執事達は誰も皆、この状況を静めようと忙しそうにしていて、私の事など見ていない。勿論、貴族達は私とフィンレイ様が話をしていることに気が付いている者すら誰一人居なかった。
思わず、目の前の男を見る。まさか、そんな計らいを今日という日にするだろうか。
「……こうも儚く美しい旋律で奏でられる、あの曲を聞かせて貰ったのは久々だった。その礼だ。」
背を向けて告げられる言葉に、私は例え見えなくともその漆黒の背中に深々と頭を下げ、急いで会場出口へとかけていく。
興奮冷めやらぬ貴族達の合間を縫って奥へと進み、気付かれないようにドアを開けると廊下に飛び出した。
煩わしく足に絡み付こうとするドレスの裾を掴んで、角を曲がり階段を駆け上がる。
すぐに行かなくては。
今すぐに、私は彼のもとへ行かなくてはならない。
あの風にさらわれてしまいそうな、その瞳を、掴んで離さないようにしなくては。
そうでなくてはもう二度と、あの優しく甘い、嬉しそうな顔を目にすることが出来ないかのように感じるのだ。
はやく、はやく。
彼の、ベリアンの声が聞きたい。
あの笑顔が見たい。
そして、ちゃんと私を見て欲しい。
とにかく気持ちばかりが焦っていた。
転びそうになりながら、時折脱げそうになるヒールに強引に足を押し入れ私は走った。