第1章 それは心からの憂心
地下の研究室で、一人手帳を眺めては、ぼんやりとその己が書き示した文字を意味もなく目で追う。静かな部屋に、外の風の音と、たまに控えめに乾いた紙をめくる音だけがした。
はぁ、とそんな中で小さくため息を吐くと、然程大きな声を出したわけでもないというのに、嫌に響いて聞こえた。
この部屋の主でもあるベリアンは何時もはひと時も無駄に出来ぬとでもいうかのように、分厚い資料に目を通し手元の手帳に熱心に書き記しているのだが、今日はその乾いたインクを時折指でなぞるだけであった。
暫くの間そうしていれば、不意に扉を叩く音がした。
「遅くなってしまい、申し訳ありません、ベリアンさん……話というのは何でしょう?」
「大丈夫ですよ、ハウレスくんも忙しいでしょうから。寧ろ急にお時間頂いてすみませんでした。実はですね、今度の舞踏会が終わるまで、主様担当を変わって頂きたいのです。」
ベリアンがニコリといつもの柔らかな笑顔を浮かべ告げたその言葉に、ハウレスは酷く驚いた表情を見せた。
そんなハウレスの反応は予想がついていたのか、ベリアンは事の経緯を端的に説明すると、その鍛えられた体をシャンと正し真剣に話を聞く目の前の彼に今回の件を頼めないかと再び視線を合わせた。
「それは、願ってもない事ですが……いいんですか?俺がベリアンさんに変わって主様担当なんて。」
驚きと困惑と、そして隠しきれない喜びの表情を素直に浮かべるハウレスに対し、ベリアンは変わらぬ笑みを浮かべつつも、けれどどこかその瞳に影を落としたまま続けた。
「はい。ハウレスくんが一番適任だろうと、ルカスさんとお話ししまして。いかがでしょうか?」
「いや、そんな…、こんなに光栄なことはありません。ただ、その……何ていうか、もう主様担当はずっとベリアンさんだけなんだろうなって思ってたので、その……。」