第2章 シーン1(2)
東北の雪は何もかもを億劫にさせる。東北、特に山形の雪は北海道の、まるで地面に突き刺すような鋭い雪とは違うものだ。冬の北海道には行った事がないが、テレビでのニュースなどを見る限り、私はそのような印象を持つ。山形の雪。山形の雪は柔らかい綿を千切って雲の上から落としたように一つ一つの雪の粒が大きく、ふわふわと冬の風に舞い、やがて鉛のようにべったりと重く町全体に貼りつく。
11月頃に降る今年初めての初雪、雪は天使、ホワイトクリスマス、スキーリゾート。雪と密接な関わりを持たない人たちは雪に対してそのような良いイメージを持つ。東北に住んでいないからそういう事が言えるのだ。東北に住む者にとって、東北の雪が好きなのはまだ小さい子供だけだ。子供の登下校、蛍光色のようなパステルカラーのような水色や黄色やピンクの全身防寒具を着て雪で遊びながら歩く子供の姿を見ると、私はもうそこに戻れない事を知る。
小学生から中学生になる頃に訪れる思春期は何もかもを残酷に映しだす。中学校には小学校ほどの自由がなく、制服やジャージは地味で、小学校の時に夢見ていた中学校生活の現実を味わう事になる。空はコンクリートで作られた建物のようなグレー色、目の前はどこまでも終わりの無い白の壁。綿のような雪で遠くの建物が見えない。見えたとしても山があるだけなのだが。楽しいものが何も無く、テレビで知った音楽アーティストの事やバラエティ番組とお笑い芸人の事をただ延々とお喋りするこの田舎では、この東北の雪は閉塞の象徴なのかもしれない。
こうして考えている間にも降り続ける雪が私の毛糸の帽子や紺のコートの肩に積もっていく。手袋をした手で払おうとしても、綿で出来たふかふかとした生地ではどうしても雪が払えきれず、残る。革で出来た薄い鞄も、払おうとすればするほど雪がこびりついて取れない。今日は1月12日。3学期の始めから日数が経っていないので特に憂鬱なのかもしれない。来年は、ああ、大学入試共通テストらしいがどうにも実感が持てない。私はまだ進路を決めていない。どうして進路というものがあるのか。どこにも行けやしないのに。雪の粒が頬に落ちたので指で払った。