第2章 そして貴方と出会った
「所で一つ、聞きたい事がある。ぬしは何故『鈴蘭』を名乗っておった。」
『鈴蘭』、それは数日前まで菊が呼ばれていた源氏名であった。その名が月詠の口から出た瞬間、菊は犬猫が威嚇するように、激情を露にした。
「…っ、あんたらが私をその名で呼ぶんじゃないよ!」
興奮して顔を赤らめながら、菊は月詠に怒鳴りつける。先ほどの穏やかな空気が嘘のように無くなり、いきなりの事に月詠は戸惑うばかりだった。何が地雷だったのか、怒りを収められない菊はそばにあった枕を月詠の顔に目掛けて投げつけた。痛くもないそれを月詠は甘んじて受け入れ、なんとか菊を宥めようと必死になる。
「落ち着け! わっちは唯、何故ぬしが『鈴蘭』と呼ばれているのかが知りたいだけじゃ。その名を名乗る事を許されておるのは、伝説的な成果をあげた花魁、『傾城鈴蘭』だけの筈なんじゃ。現実的に考えて、ぬしのような『死角』の者が名乗れる名ではない。」
「黙れ! 『死角』の事情も何も知らない能無しが今更それを訊けると思うな!」
今にも暴れだしそうな菊に、月詠はただ落ち着け、落ち着けと言い聞かせるしか無かった。しかし菊の様子は一向に良くならない。状況はしばらく続くようであった。