第20章 忘憂
そして私の元に一歩近づくと
前と同じ様な名刺を一枚差し出してきた。
「ここ、僕が働いている喫茶店です。
今日のお詫びにサービスしますから…
時間がある時にでも来て下さい。」
手渡された名刺を渋々受け取ると
安室さんは私に頭をペコっと下げて立ち去って行った。
赤井さんと安室さんがどういう関係なのかは知らないけど
また一つ分からない事が増えてしまい悩みの種が増えた。
『もう……あのイケメンには会いたくない…』
ボソッとそう呟いた後
私は再びクッキングスタジオに向かって歩き出した。
ーーーー…
「今日のメニューはパウンドケーキです。
皆さん、さっき説明した手順で初めて下さい。
分からないところがあったら聞いて下さいね。」
このお菓子教室の先生である香坂 夏美さんは
普段はパリでお菓子職人として働いていて、良家のお嬢様らしく清楚で気品があり、とても優しいと評判のパティシエールだ。
手順通りに生地を混ぜ合わせていると
香坂先生が私の作っている様子を見に来てくれた。
「やっぱり若山さんすごく上手。
私が教える必要ないくらいね。」
『いえ、そんな…』
…そういえば初めて昴さんに会いに工藤邸に行った時
パウンドケーキ作って持って行ったなぁ……
その時の事を懐かしく思いながら生地を混ぜ合わせていると
再び香坂先生に声をかけられた。
「…心ここに在らずって感じね?」
『あ…す、すみません!』
「お菓子を作ってる時に他の事を考えているとね、
同じ手順で作っているつもりでも微妙に味が変わってたりするものなの。私も苦労したことあったから。」
『そう…なんですか?』
「えぇ。私はいつもお菓子を作る時は
私の作ったお菓子を食べて美味しいって言ってくれる人の笑顔を思い浮かべながら作ってるの。」
…私と一緒だ。
私も赤井さんが生きてて、家に来ていた時
あの人が喜んでくれる顔が見たくて…いつも楽しくご飯作ってた。