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櫻の里

第1章 少女、理不尽を知る。


お茶を注ぎながら、努めて顔を見ないようにした。目を合わせてはいけないと心に刻んでいる。心で何を考えているのかわからない人とは特に。

「結婚すれば、神里家へ嫁ぐ形になりますが、構いませんか」
『ええ』
「おや、あっさりですね」
『逆ができる立場でも無いので』

稲妻では、基本女性が男性側の家へ嫁ぐ形が多い。今回の結婚も例に漏れずそうなる。けれど、私に至っては心配なことがあった。

『簡素な手続きは全てあなたのご意向にお任せします。逆らうつもりもありません。ただ、私の不安は商会の事についてです』
「ええ、分かっています」
『昨日、櫻小路商会の代表が父から私へと代わりました。今や私が使用人や従業員達の命運を握っている状態です。全て捨てて私だけおいそれと嫁ぐわけにはいきません』

それをどうにかする為に必要な事は、もう分かっている。でも相手が了承するとは限らない。

『私は、商家の娘です。商売が出来れば、私は…それで良いのです。けれど、神里家に嫁ぐとなれば、それだけではいけない。体裁もありますし。ですから、神里家の妻として役目はしっかり果たします。それに加えて、商会の仕事も同時にやる事を許して頂きたいのです』
「構いませんが…できるのですか?」
『できなければ言いません』

神里家の女性がすべき事、それは社交。綾華嬢の負担を減らすことができれば、彼も文句は言わないだろう。

「ふふ、そうですね。貴方はそういう人です」
『だから先程から…知ったように…』

やけに昔の事を引っ張り出したがる。嫌だと明言したのに、わざわざ言ってくるあたり私をおちょくっているのだろう。

「事実、知っているので」
『子供の頃の話だと言うのに』
「子供の頃からの癖は、変わらないものですよ」

当主が窓の向こうを見やる。確かにこいつも子供の頃から全く変わっていない。

『私の家についても…』

父も長くないと分かった以上、私が嫁げば使用人達は路頭に迷う事になる。それだけは何とかしなければ。

「そうですね…目下の問題はそこです」
『いえ、私の家については自分で何とかします。当主様のお手を煩わせる事は致しません』

自分のことは自分で何とかする。それが私のモットーであり、それを一途に守ってきた。

「頼っていただいても構いませんが?」
『結構です。当主様は手続きに労力を割いて下さい』
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