第1章 少女、理不尽を知る。
「私ももう長くない。医者には1ヶ月保たないだろうと言われている。その前に、櫻小路商会の全てをお前に預けたい」
『そんな…だって1ヶ月前は1年保つとおっしゃって…』
頭を鈍器で殴られたような心地だった。お父様がもう長くない。頭の中はそれだけで埋め尽くされて、食事に手をつける気になれなかった。
「そんなに悲しむものではないよ、薫。君はとても優秀な子だ。昔からよく頑張ってくれた。これから先、私に構う事なく自由に生きてくれて良い。商会も自由にしてくれ」
『そんな、そんなの…』
遺言みたいではないですか。とは言えなかった。言いたくなかった。父の余命がもうない事を認めるようで。
「まぁ、できれば君の晴れ姿は見たかったけどね。我儘は言わないさ。娘に迷惑をかけた分だと思えば」
『迷惑だなんて、思っていません…!そんな風に、言わないでください…』
「君の母も幼いうちに亡くなったから、父親1人で大変だっただろう」
焦点のあっていない目で父は続けた。確かに母は私が5才の頃に亡くなった。母親が居なくて寂しいと思った事はあれど、辛いと思った事はあまり無かった。父がその分頑張ってくれたのを知っていたから。
「まぁ兎に角…父さんが言いたいのは、自由に生きて欲しいという事と我儘をあまり聞いてやれなくてすまなかった、という事だよ」
『気にしてませんのに。でも、分かりました。自由にやらせて頂きます。お父様は心配なさらないでください。私も商家の娘として沢山のことを学んできたつもりです』
父を安心させる為に何とか繕った。不安しかないのにさらに父も死んでしまうとなれば、一体私は何を頼れば良いのか、何もわからなくなってしまいそうだ。
「自慢の娘だ」
父が安心したようにふわりと笑った。私も合わせて笑った。外面用の笑顔になったのは否めない。
「旦那様、もうお部屋にお戻りになられた方が…」
「ああ、そうだね…それでは部屋に戻るよ」
『はい、お父様。お休みなさい』
食事を残すのも勿体無くて、無理矢理詰め込んで席を立った。何も考えないようにしていつも通りのルーティーンで過ごして、布団に入る。明日の事を考えるのが今日ほど嫌な日はないだろう。
布団を深く被って何も考えないようにしてぎゅっと目を瞑った。将軍様にお目見えするのに隈を作って会いにいくわけには行かない。櫻小路 薫である為に縮こまって眠った。