第3章 妻、初仕事をする。
確かに口から息を吸えない以上。鼻から息を吸うしかない。けれど分かってはいるのに鼻から空気を吐き出す事に僅かばかり抵抗があるのだ。
「ではもう一度するよ。いいね?」
『…分かった』
またあの酒臭さを味わうのかと憂鬱になる。私は尚更酒臭い自覚があったので、それを幾ら嫌な相手と言えども味わせるのは私のポリシーに反する。これを風情と判る日がいつしか来るのだろうか。
頭の中で様々な思考を巡らせつつ、瞼を閉じた。正面から見てくれだけはいい顔が迫ってくるのが分かったから。目を閉じて1秒も経たない内に唇と唇が合わさり、お互いを喰むように求めた。言われた通り鼻で息を吸って、鼻息が荒いと思われないように調節しようと思ったのだが上手くいかなかった。
『んぅ⁉︎』
唇の合わさっている部分をそろりと舌で舐められる。生暖かい感触が瞬時に伝わってきて、思わず後退りをした。逃げようという思考が伝わったのか、腰を抱かれて唇が離れることはない。先程声を発した瞬間に、待っていたと言わんばかりに綾人の舌が侵入して、私の舌と触れ合った。
接吻ってこんな事までするのかと、それ以外何も考えられなかった。何がしたかったのかも、自分がどういう状況なのかも忘れてしまう。接吻とは恐ろしい。私の初めての感想だった。
『ん〜!』
流石にもう無理だと思って、また勢いよく綾人を突き飛ばした。漸く唇が離れ、離れたお互いの唇からは唾液がテラテラと流れている。綾人は口の端に流れた唾液を舐め取って、嬉しそうに蕩けた笑みを浮かべた。行灯のせいで余計に煽情的に映るので、私までどうにかなってしまいそうだった。というより、私も既にどうにかなっていたのかもしれない。私は今、彼の前でどんな顔を晒してしまっているのだろうか。
「流石に、薫は物分かりがいいね」
何も答えられなかった。昼間よりももっと色香に溢れた顔が迫ってくる。此処はとてもクラクラする。綾人が香を焚いていたのか、良い匂いで溢れているこの部屋と、綾人と自分のものが混ざった唾液と、何もかもが私を困惑させる。
「ふふ、怖いかい?」
ふるふると首を横に振った。怖いと思っていても出してはダメだと思ったからだ。彼がとっくに砕けていた私を横抱きにして、敷布団の上に寝かせる。もう私は抵抗する意思は無かった。元より、子作りに対しては役目である以上避けられないと分かっていた。