第3章 妻、初仕事をする。
『あんたのそういう所、嫌い』
「おや、褒め言葉をどうも」
こんな虚しい足掻きの言葉が彼に刺さるはずもなかった。こんなの、惨めだ。嫌われている人に自分から抱けとせがむだなんて、なんて屈辱的だろう。
「ほら、薫。言わなければ分からないよ」
『言わなくてもわかるくせに…!』
「それは肯定と捉えて良いのかな?」
あまりの恥ずかしさと、屈辱と、悔しさで覆い被さる彼の顔を見れなかった。今が夜で良かったと、そう思わずにはいられない。だって、昼間だったらどんな顔をしているのかお互い分かってしまう。部屋の隅にある行灯しか、灯がなかった。今宵は新月で、外からの明かりもない。
「接吻をしても?」
『酒臭くても責任取らないわよ』
「それも風情だよ、薫」
酷く慈しむように私を見るのだ。その眼差しの熱っぽいこと。私を愛していると言わんばかりの眼差しがくすぐったくて、背筋がゾクゾクとする。
『ん…』
綾人も酒臭かった。彼が酔うなんてことは恐らくないから、本当に嗜む程度にだけ飲んだのだろう。2人して酒臭いまま、ねっとりと唇を重ねる。男性と唇を合わせたのはこれが初めてだった。作法も分からず、目を見開いたまま固まってしまう。息の吸い方が途端にわからなくなり、咄嗟に綾人を突き放した。
『はぁ…はっ…』
「こういったことは初めてですか?」
『そうよ!悪かったわね!私は男女の付き合いより商売が好きなの!』
あまりに居た堪れない。本来なら嫁入り前に花嫁修行があるのだが、私にはそんな時間がなかった。何せ結婚が決まって数日で嫁ぐ事になり、稲妻にとっても異例中の異例と言える。花嫁修行で閨の中での振る舞いも学ぶが、そもそも受けていない私にとっては全てが初めてだった。
「構わないよ。そうだろうとは思っていたからね」
恥ずかしくて涙が出てきそうだ。私だけ何も知らないまま夜の行為に臨まねばならない。やる事自体は知っているものの、閨の中での作法なんて全く知らないのだ。
「猶予を与えなかった私にも非があるからね。私が責任を持って教えるよ、薫」
元々猶予なんて与えるつもり無かったくせに、私が困っているのを見て楽しみたいらしい。かくいう私は、悔しくて悔しくて何も口から出てこなかった。
「良いかい?薫。接吻をしている時は目を閉じるんだよ。そして鼻から息を吸うんだ」
『わ、分かってるわよ、それくらい…』