【ONE PIECE】海賊王と天竜人の娘は誰も愛せない
第1章
わたしは、その場で泣いてしまいたくなった。
数十年の人生の中でたった一週間と少しの記憶に紛れただけのわたしのことなんか、この島を出てしまったらきっと、彼は忘れてしまう。行ってほしくない。寂しい。
『心地いい酒場だった。うめェ酒が飲めたぜ』
次はどこの島へ行くの?
どんな女性と出会って、どんなお話をするの?
ねえロジャーさん、……ロジャーさん…。
叶わない恋だなんて、最初からわかっている。
身分のことも。歳の差だって大きい。
でも仕方がないじゃない、好きになってしまったんだもの。
『あの!……ロジャー、さん…っ』
エプロンを握りしめて、出せる限りの声でロジャーさんと向き合う。わたしの心臓の音が、ロジャーさんに聞こえてしまいそうなくらいにうるさい。顔が熱い。耳も、首も、全身が熱い。なのに手足の指先は冷えて仕方がない。
何と言えばいいの。
こんなに言葉に悩んだことなんて、一度もない。
こんな経験したことない。
言おうと思ったことを言えず、唇だけがはくはくと開き、閉じる。カウンターの向こうにいるロジャーさんの顔が見れなくて、目が泳いで、だんだんと視界は滲んでいく。
『……ロジャー、おれ達は先に船にもどるぞ』
右目に傷のある副船長さんが、眠りかけている男の子二人を両脇に抱えて店を出ていった。ロジャーさんはそれに手を挙げただけ。きっと長い付き合いの二人だから、言葉なんていらないのね。
海賊たちは悪戯っ子のような笑顔でそそくさと船に戻り、店主も店の奥へ隠れてしまった。店内に響くのは緩やかなジャズの音色と、ロジャーさんが揺らすグラスの中でぶつかり合う溶けかけた氷の音だけ。
わたしとロジャーさんだけの世界。
今度こそ本当に、わたしの心臓の音がロジャーさんに聞こえてしまいそう。
ロジャーさんは待ってくれている。
わたしが言葉を紡ぎはじめることを。
薄ぼんやりとした店内の暖色の明かりが、わたしに勇気をくれる。
『……ロジャーさん』
大きく息を吸い込んで名を呼べば、ロジャーさんは氷の音を止めた。
わたしが言おうとしていることを既に悟っているのか、彼の瞳には滾るような熱が燻っている。
『…ひと欠片の夢を、わたしにいただけませんか』