第1章 1
お嬢様は、さっきまでイタズラしていた首筋に唇を当てたまま呟いた。
「ねえ……このまま一緒に寝ない?」
川島の体温が一瞬、上がったような気がした。
「とても嬉しいお誘いなのですが、船を戻してからにいたしましょう。片付けなどもありますし……すぐに終わらせますので」
お嬢様は、目前の喉仏がかすかに上下するのを、なにかの生き物のようだと思いながら静かに頷いた。
大きな手が頭をやさしく撫でてから、川島が素早く半身を起こした。
再びベッドが軽く揺れ、自然な波とは違う無機質な揺れ方に、お嬢様の心も波立った。
それを知ってか知らずか、川島が無言で部屋を出て行く。お嬢様は目を閉じ長いため息を吐いた。
ほんの少しの時間、離れるだけなのに身体の半分を裂かれたような感覚に陥ってしまう。
残った身体には空虚だけが残されている。
ダウンライトだけが灯った部屋に、川島が飾ったであろうアレンジブーケがぼんやりと浮き上がっていた。
吐き出した息をゆっくり吸い込むと、鮮度のいい生花のみずみずしい香りを感じた。
邸でも外でも、もてなす姿勢を崩さない川島。
邸はいつもホテル並みに整えられているし、船のベッドルームにいたるまで余念がない。
自分には、まだまだ感謝が足りない、伝えられていない。
川島という失われた半身が戻ってきたら、もっとちゃんと伝えようとお嬢様は思った。
しばらく波に揺られていた。
もうマリーナへ戻ってきたのだろうか。
眠気に勝てずウトウトしかけているところに、川島がやってきて伺うように小声で言った。
「お嬢様……起きていらっしゃいますか?」
なんとなく反応しそびれていると、ベッドの端、ため息とともに腰を下ろす気配を感じた。
「やはり眠ってしまわれたか……」
しょんぼりとした残念そうな声に、お嬢様の頬は自然にゆるんだ。
グラスに液体が注がれる音で完全に目が覚めた。
川島がワイングラスを傾けていた。
普段のピンと伸びた背筋ではなく、どこか拗ねたような猫背気味でワインを飲む姿が可笑しかった。
また軽くひとくち口に含みながら、なんとはない仕草で川島が振り返る。