第1章 1
もちろん、川島が一緒にいてこその幸せではある。だからこそ今、すべてそろっているこの時に深く感謝した。
このままふたりで、遠くに逃げてしまえたらどんなにいいだろう。
すべてを放り投げてでも、たとえ周囲を悲しませたとしても。
川島と逃げる。
この特殊な関係性のふたりの行く末を思うと、お嬢様は自然に逃避行の選択肢を考えずにいられなかった。
「お待たせいたしました」
川島が捌いた魚をカルパッチョにして持ってきた。
オリーブオイルの野草的な香りが、潮風に混じって鼻腔を刺激した。
遠くで季節外れの花火が打ち上がったのが見える。潮風にのってドン…ドン、という鈍い音もかすかに聞こえる。
少し杯を重ねすぎたかもしれない。
お嬢様は頬に手を当てながら花火をもっと近くで見ようと立ち上がった。
思った以上に酔いが回っていたらしく、ふらつく足元で手すりに寄りかかると川島の心配気な声がした。
「大丈夫ですか?少し横になられた方がよろしいのでは」
「ちょっと飲むピッチが早すぎたのかも。楽しすぎて、つい……っ!」
いきなり身体が宙に浮き、お嬢様は反射的に息をのんだ。
「まったく、もう。アルコールをお過ごしになられるのは、私の前だけになさってくださいね」
あきれたような、それでもやさしい声で制しながら、川島がお姫様抱っこでお嬢様をベッドルームに運ぼうとした。
急に身体を攫われて思わずしがみついた川島の首に、お嬢様は軽いイタズラをしたくなった。
首筋の血管や耳たぶを、アイスキャンディーを溶かすみたいに舐めてみる。
「!ふふっ……くすぐったいです、お嬢様」
川島が笑ってくれたこと、笑うたびに触れ合う身体から伝わってくる細かな振動に、安らぎと愛おしさを感じた。
ガラス細工を扱うような仕草で、そっとベッドに降ろされる。穏やかで落ち着いた声が降ってくる。
「今夜はもうこれで引き返しましょう。私は船を戻してまいりますので、ゆっくりお休みになられてくださいね」
半分だけ水の中にいるような意識で、川島が離れていこうとする気配を感じた。
とっさに川島の腕を強く引き寄せる。
バランスを失った身体が、隣に倒れ込んできてベッドが軽く揺れた。