第1章 無題
「じゃあ、お願いしたいです。」
私が言うと、先生は「ちょっと待ってて」と言って病室を後にした。
数分して再び戻ってきた先生の手には、色鉛筆とスケッチブックが握られていた。
「ここには色々な患者さんが入院するから、こういう暇つぶしになりそうな物は常に用意しておいているんだよ。」
入ってくるなり先生はそう言った。
「ありがとうございます。」と言って、私はそれを受け取る。
「あれ?これは?」
と、病室のゴミ箱に目をやった先生が私に問いかけた。
ゴミ箱には、私が描いた桜のスケッチが数枚入っていた。
「それは、ちょっと気に入らなくて。捨てたんですよ。」
私がそう言うと、「失敗作か。勿体ないな。」と先生は言った。
その瞬間、ドクンと私の心臓がはねる様に鳴るのが分かった。額や首から、脂のような嫌な汗が流れる。
呼吸が早くなり息苦しさまで感じる。
明らかな私の体の変化に、先生は慌てて駆け寄った。
「どうしたの?大丈夫?」
先生は切羽詰まった様子で私に問いかけ、背中をさすってくれた。
数分間そんな状況が続いたあと、ようやく落ち着きを取り戻すと私は先生にこう言った。
「前に話した夢…。私の頭を抑えていた女が私に言ったんです。お前は失敗作だって。」
「金子さん…何か思い出したの?」
先生は私を心配そうに見つめ、背中をさする手を止めることなく問いかける。
「思い出しました。私…家族を殺したんですね。」
私がそう言うと、しばらくの沈黙が続いた。
静寂の中、先に口を開いたのは先生の方だった。
「君がここに運ばれた日、警察の方も何人か来てね。その日のうちに全部聞かされていたんだ。君は、君の家族を殺したあとすぐに近くの交番に駆け寄ってこう叫んだらしい。『私を出来損ないと罵ったあいつらが悪い、私より後に生まれたくせに私をバカにしたあいつが悪い、だから皆殺した』そう言って君は倒れたんだ。そしてここに搬送された。」
先生が言い終えたあと、私はそれまで噤んでいた口を開く。
「じゃあ、先生は最初から私が殺人を犯したことも分かっててあんなに優しくしてくれてたって事ですか?」
先生は黙って俯いた。
「どうしてこんな私なんかに優しく…?」
私がさらに問いかけると、先生は囁くように声を絞り出して話し始めた。