第1章 無題
私は首を横に振る。3日経って変わった事と言えば、体の拘束具が外れたことくらいだ。それでも病室には外側からしか開けられない鍵がかかっているため、私の行動範囲は病室より広がることはなかった。
「ところで、自分で声が出るか確認はしてみてる?」
私は目を丸くして先生を見た。紙とペンがあれば先生には伝えられるため、声が出せるようになったか確かめるなんて頭がこれっぽっちもなかったのだ。私は恐る恐る口を開いた。
「あ…あー」
消え入るような嗄れ声だが、なんとか出せるようになっていた。
先生はびっくりしたような嬉しいような複雑な表情を浮かべていた。
先生のそんな顔を見て、私は自然と笑顔になった。
「笑顔も増えてきたね。じゃあ僕は一旦戻るから、何かあったらいつでもナースコールしてね。」
そう言って、先生は病室を後にした。
「…そういえば、先生に最近よく見る夢の話すればよかったかな…」
私はようやく出せるようになった声で、独り言を呟いた。
病室ではやることが無い為、食事の時間と回診の時間以外は基本的に寝て過ごしている。
最近、毎回のように見る夢がある。
夢の中の私はいつも勉強していた。顔や名前は出てこないが、私の周りには毎回同じ人物が現れる。
机に向かって勉強する私を囲むように彼らはそこにいる。
皆口々に私になにかを言っているが、声は聞こえない。何を言っているか分からないが、私はいつも泣いている。すると突然全て真っ赤に染って目の前が何も見えなくなり、そこでいつも目を覚ます。
そういえば記憶を失っていることで、不思議なことがひとつある。私は自分の名前も、生年月日も、通っていた小中学校、私を見つける度にしっぽを振ってくれる近所の犬のことでさえ、はっきりと記憶している。が、家族に関する記憶がすっぽりとなくなっていたのだ。
私は一体どう育てられたのだろう。両親…は、きっといるだろう。兄弟は居たのだろうか。何も思い出せない。
そんな事を考えていたら、私はまた眠りについていた。
どれくらい時間が経っただろう。私はドアのノックの音で目を覚ました。
「金子さん失礼します。午後の回診の時間です。」
時計を見ると15時を指していた。
「寝てらしたんですか。…寝汗が凄いけど怖い夢でも見た?」
私は汗で張り付いた前髪を手で少し整えてから話し始める。
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