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創作小説

第1章 無題


一晩押さえつけられた腰がポキポキと音を鳴らす。

私は逸る気持ちでペンを走らせた。

『私はどうしてこんな所にいるんですか?』

それはぶっきらぼうな字だったと思う。

先生は「うーん」と頭をかいた。そして続けてこう言った。

「君が夕べの事を覚えていないのに、僕の口から言ってもいいものか…。記憶が戻れば分かると思うからもう少し待てるかい?」

私はハッとした顔をして再びペンを走らせる。

『記憶がないのはなぜ?声も出ないし』
先生は答える。

「記憶を失ったのは解離性健忘という病気のせいだろうね。声が出なくなったのは、おそらく心因性失声症だろう。どちらも心的ストレスが要因となる病気だよ。」

難しい専門用語に私はちんぷんかんぷんといった顔をしていたのだろう。そんな私を見て先生は笑いながらこう言った。

「それだけ夕べの事は君にとってショッキングな出来事だったんだろうね。」

不安に思い俯く私の肩を先生が、ポンポンと叩いた。

「大丈夫。健忘も、失声症も、きっとすぐ治る。」

そう言った先生の顔はどこか切なそうだった。


一方その頃、世間ではひとつの事件が報道され騒然としていた。
それは、一家惨殺というむごいものだった。
容疑者の名前は「金子由貴」。


事件があった町では、その一家の話で持ち切りだった。

「金子さんとこのお姉さん、今病院にいるんだって?」

「あそこのご両親、昔からお姉さんにだけ当たりきつかったからねぇ。」

「そうそう、何やっても妹に勝てなくて、母親からは“お前は失敗作だ!”なんて罵られることも少なくなかったそうよ。」

この話題の渦中になっている「金子由貴」こそ、櫻井病院精神科病棟に入院している人物である。

よく晴れた春の日。私の病室からも少し色づき始めた桜の木が見えた。

時計を見ると間もなく朝の10:00を回ろうとしている。
時計の針がジャスト10時を指した時、病室のドアが開いた。

「おはようございます金子さん。よく眠れたかな?」

優しい笑顔で問いかけるのは櫻井先生だ。
横には看護師が1人立っている。

先生の問いに私はこくんと頷いた。

「朝ごはんもきちんと食べられた?」

私は手元にあったペンを持ち、メモ用紙に“あまり”と書いた。
「そっかそっか。」と先生は笑って、こう続けた。

「今日で入院して3日だけど、記憶は戻りそう?」
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