第32章 優しい時間
今度こそ、と立ち上がろうとした。
すると、テンゾウさんが室内に戻ってきた。
「急ぐのかい?」
彼は意外そうな顔をしている。部屋にお邪魔してから二時間ほど経っている。さすがに長居しすぎたのではと思っていたのに。
「もう昼過ぎじゃないかな。良かったら一緒に昼食でもと思ってたんだけど…」
テンゾウさんは首を傾げ、片手で頭を撫でている。
引き留められるのは三回目だ。
その言葉に、嬉しさと共に驚きを感じる。今日彼は一体どうしたんだろう?返答に迷い口をつぐんでいると、体は正直でお腹がぐう、と鳴った。
「……う」
私は顔を赤くしてお腹を押さえた。その仕草に彼が笑う。
「ふっ」
「すみません……」
「いや。僕としては、願ってもない返事をもらえて光栄だよ」
テンゾウさんは顔を綻ばせたまま、財布をパンツのポケットに入れた。笑わせるつもりはなかったのに、まさかの事態だった。
(朝、軽く済ませてしまったからかな…)
恥ずかしさで俯いていると、テンゾウさんが明るい声で言った。
「こないだカカシ先輩に教えてもらった蕎麦屋が良くてね。そこでもいいかな?」
「ええ。もちろん」
「じゃあ、行こうか」
私はおずおずと立ち上がり、彼と向き合う。近づいてきた彼が、さり気なく私の手を取った。そのまま居間を抜けて玄関へと向かう。
(え?え?)
突然のことに戸惑いつつも、私は温かな手に引かれながら、彼の後を着いていった。
*
私とテンゾウさんは、軽く手を繋いだまま通りを進んだ。
指先は熱を持ち、同時に顔が上気する。歩いている間、私たちは余り言葉を交わさなかった。
二人でしばらく歩き、人通りの多い、木ノ葉茶通り商店街に入った。目的の蕎麦屋にたどり着き、暖簾を潜る。店先からいいお出汁の匂いが漂ってくる。
店に入るときには、軽く触れていた指先は自然と離れた。
賑わう店内で空席を探していると、店員さんにカウンター席を勧められた。四人掛け、二人掛けの机はもう満席だったのだ。