第32章 優しい時間
「テンゾウさんは?ご両親とか、兄弟は…」
「ああ。僕は孤児でね。両親も兄弟もいない」
何気なく告げられた事実に、私は目を開いた。
「そんな悲しい顔はしないでくれるかい?僕自身は、あまり実感がなくてね」
彼はこちらを気遣うように、表情を和らげた。一呼吸おいてから、テンゾウさんは続けた。
「僕らの世代は、そうした同僚が多い。僕の周りは特にね。九尾事件でって話もよく聞いたよ」
私が思わず口元を押さえると、彼は視線を落とした。
「…それは、アカデミーの同僚も同じです。ご両親をあの事件で亡くしたって方がいます」
私は、イルカ先生のことを思い浮かべた。
「うん、だからかな。それほど気にはならないんだ。今は、いい先輩や同僚もいるしね」
「…カカシさん、とかですか?」
「まあ、そうだね。他にも気にかけてくれる人がいるし…僕は恵まれていると思うよ」
思わぬタイミングで、彼のデリケートな話題に触れた。それでももう過去のことだと言わんばかりに、彼は穏やかな表情を崩さない。その強さが少し羨ましかった。
私はまたカップに手を伸ばした。残るお茶をぐっと飲み干す。香ばしいほうじ茶で、体は程よく温まっている。
テンゾウさんもまた、静かにお茶をすすった。私はその手の甲をぼんやりと眺めた。
時間がゆっくりと過ぎていく。
戸惑いはあるも、その静かな時間は心地よいものになっていたせいか、何となく帰るタイミングを失ってしまっていた。
*
再び訪れた沈黙を、今度は鳥の羽ばたきが破った。窓をコツコツと嘴でつついている。
「しまった、餌がなくなったかな。ちょっと待っていてくれるかい?」
テンゾウさんがすっと立ち上がった。
壁に取り付けてある戸棚から、穀物の入っている袋を取り出してベランダへと出て行く。私はその姿をじっと見ていた。
鳥の背を指先でそっと撫で、餌入れの容器にさらさらと穀物を流し入れている。窓ガラス越しに見える、その何気ない姿に見惚れている私は、相当彼に参っているようだ。
(駄目だ…そろそろ帰ろう)
胸が一杯になってしまい、そんな風に思った。