第34章 天女のノート 【光秀】
「だ、大丈夫です」
「あの第六天魔王・信長様の片腕である俺が護衛をしてやろうと言っている。そんな機会はめったに無いとは思わないか」
無くてもいいです…。
「いえ、でもお忙しいかと思いますので」
「で、お前は何を納品するんだ?」
「え?」
言われてみれば、仕立て上がった着物を入れた風呂敷包みを持っていない。
「無いっ!どうして?出る時は確かに持ってたのに!」
もしかして落とした?一体どこで?
「ああどうしよう、大切なものなのに…!!」
一気に頭がパニックになる。
旅籠の奥様から仕立て直しを依頼された着物。
それは亡くなったばかりのお父様の形見で、女性用に直して大事に着たいと希望されて預かった、かけがえのないもの。
焦りながらそれを言うと、
「落ち着け、名無し」
歩み寄った光秀さんは私の両肩を掴み、長身をかがめて目線を合わせた。
どきっ…
さらりと揺れた長い前髪がかすめそうなほどの近い距離に、私の鼓動が跳ねる。
冴え冴えとした香のいい匂いが鼻腔をくすぐった。
洗練された大人の香り、粋でスパイシーで、それでいてどこか甘い。
そして、何て整った顔立ちなんだろう。
スッと高くて細い鼻梁、シャープな顎と輪郭は神々しさすら感じる。
神が気合を入れて精巧に作りあげた、そんな感じの美貌。
「とりあえず深呼吸だ。吸って…吐いて…」
戸惑いながらも、低い声に導かれるままに呼吸をする。
空気と一緒に香のかおりも深く吸いこむ。
「よし。ゆっくり思い出そう。大丈夫だ、必ず見つかる」
涼やかな目とその言葉に、不思議な心強さを感じて私は頷いた。
「名無しはまずどこへ行った?」
「…頼まれてた用事で…酒蔵に行って…」
そこは上杉家御用達のお店で、謙信様のお酒を注文してきた。
「誰の酒を注文したんだ?」
「うえ……ご、ご主人様です」
危ない、つい正直に答えそうになっちゃった。
「それから?」
光秀さんはなぜかうっすらと笑っている。