第19章 託された花2 【家康】
名無しも同じように感じた様子で、
「…これ以上はもう」
ぽつりと呟いてから家康を見上げ、
「…家康、巻き込んでしまってごめんなさい。助けてくれて、たくさん気遣ってくれて本当にありがとう。心から感謝してる」
悟ったような落ち着いた声で言った。
「……」
二人の体温、呼吸、鼓動、
生命も存在も直に感じられる近い距離で、
互いにしっかりと目を合わせた。
(ああ…)
今、確かに片腕に抱いているのは
この世で一番愛おしく清らかな生命、
家康はそう思った。
そして名無しが次に何を言おうとしているかわかる。
「これ以上は危ない。馬から降ろして。私を置いて、家康は逃げて」
家康の予想通りだった名無しの言葉。
「それ、諦めるって事?未来に戻されていいの?もう二度と………会えなくなっても…?」
『もう二度と謙信に会えなくなっても?』
そう言おうとしたけど、何となく謙信の名はのみ込んだ。
かけがえのない存在が、家康が生きるこの時代からいなくなってしまう…。
そんなの耐えられなかった。
「……でも…もう…」
彼女の湖のような瞳の水面がみるみる盛り上がっていく。
(…泣かせたくない…)
「名無しがここで生きていきたいのなら、俺は諦めない」
「…ありがとう…」
小さな嗚咽と共に漏れた吐息で、家康の胸元がふわりと温まる。
名無しを安心させたくて、
そして自分を鼓舞したくて、
彼女の背中をポンポンと優しく叩いた。
(いつここに雷が落ちてもおかしくない…)
肌を打つ雨の強弱、雲の色、空気の動き、音の違い、迫りくる気配…
僅かな変化も逃さず、あらゆる面から落雷を予測するべく、全身に神経を張り巡らせながら走り続ける。
その時、空が強く光った。
家康はすかさず手綱と脚で馬の進行方向を変える。
すぐに頭上で爆発したような轟音が鳴り響いた。
間髪入れず、鋭く空を裂いた閃光が地面を穿ち、周りが眩しい光に包まれる。
「!!」
落雷の直撃は避けたものの、怯えた馬が大きくいななき、前足を高く振り上げた。
「…くっ!!…名無しっ!しっかり掴まってて!」
大きく上下する馬体から振り落とされそうになりながらも、家康が何とか馬の動きを制御する。