第19章 託された花2 【家康】
名無しの声は真剣で、不安げに揺れていた。
名無しを託した佐助は帰り際に、
『ひとつ気になる事があります』
と、ワームホールについて家康に説明していたのを思い出した。
『予想では1ヶ月後の発生ですが、念のため注意してください。名無しさんは未来に帰る気は無いと言っていましたが、巻き込まれたら飛ばされてしまう』
『……』
『発生の前には嵐が来る。雷の影響でワームホールが発生する。もし兆候が見られたらそれを避け、どうにか逃げ切って欲しいんです』
実際にそれを経験している名無しが、あんなに真剣で怯えた様子なのだから、この雨はまさにその兆候なのだろう。
(念のため、じゃないよ。実際に起きちゃってるし…。とにかく逃げ切るしか無いって事か)
「わかった、すぐに準備する」
家康は、襖越しに名無しに返事をして廊下を駆け出した。
「説明する時間は無いけど危機が迫ってる。名無しを連れて逃げなければならない」
家臣にも女中頭にも、短くそう伝えただけだが、
「無事にお戻りになるのをお待ちしております」
と、神妙に言い、馬の用意など、テキパキと準備を進めてくれた。
身支度を整え市女笠を被り、そこから垂らした純白の薄布で顔を隠した名無しが、女中頭に伴われて部屋を出てきた。
「私…皆様に何とお礼を言ったらいいのか…」
家臣、女中頭に頭を下げる名無し。
「姫様、大丈夫です。家康様が必ず守ってくださいますよ」
女中頭は温かい手で優しく名無しの肩を抱き、
「はい…」
名無しは声を震わせながら頷いた。
用意されたのは毛並みの良い見事な馬。
ひらりと飛び乗った家康は一瞬ためらってから、名無しに手を差し伸べる。
(触れてもいいのか…?)
名無しも一瞬だけためらったが、スッと手を重ねた。
家康はそれに少し安堵しながら手をギュッと握って彼女を引っ張り上げ、皆に見送られながら御殿を後にした。
雨は明らかに強くなっており、確実に嵐の気配を感じる。
西の空は黒く分厚い雲で覆われていた。
「名無し、速度を上げる。怖いかもしれないけど俺にしっかり掴まってて。舌を噛まないように喋らない方がいい」
こくんと頷いた名無しは両手を家康の身体に回した。