第19章 託された花2 【家康】
(……好き…愛おしい…)
もはやそれを認めざるを得ない。
目をそらしてきた彼女への恋慕を、はっきりと自覚する。
(こんなの…抗える筈がない……)
このまま名無しの手をぐっと引き寄せ、
片手で背中を掬い上げて抱きしめたら…
更に、柔らかそうな唇を奪ったら…。
それはきっと、この上なく甘美なものだろう。
そのまま肌を暴き、彼女の身体まで奪ったら…。
身体の奥の欲情の火がじわじわと燃え広がっていく。
(実行したらどうなる…?)
ふと顔も知らない庭師に思いを巡らせた。
名無しに近くで花を見せてあげたい、そんな言い訳で彼女を抱き上げた庭師。
名無しが心配で様子を見る為、そんな言い訳で部屋に入り、その手に触れている家康。
(同じ…いや違う…俺の方が前から名無しを想ってた…)
脳内でのどうでもいい張り合いに自分でも呆れる。
そもそも今は謙信の寵姫なのだから…。
謙信が独占欲のままにつけた赤い痕は、月明かりの下では幾分か薄らいで見えたけど、それでも家康の心を執拗に刺激した。
(上書きしてやりたい……)
衝動に突き動かされて名無しの手に頬を擦り寄せた。
狂いそうになる。
奪いたい。
だけど、それを実行したら……。
彼女の泣き顔が脳裏に浮かんだ。
悲痛な嗚咽
弱々しいすすり泣き
子供のように泣きじゃくる声
それを見聞きした時、居ても立っても居られなくなった。
何かしてあげたかったのにオロオロしてしまった自分がひどく無力に感じた。
思い出しただけでも家康の胸が再びシクシク痛む。
(もう泣かせたくない…)
彼女の泣き顔がこの世で一番嫌い。
息を深く吸い込んでから、細くゆっくりと吐き出す。
必死に欲望を振り払い、彼女の手を布団の中に戻した。
(可愛いな…)
家康の葛藤など何も知らず、気持ち良さそうに眠る愛くるしい寝顔。
(人の気も知らないで…)
ふっと頬が緩んだ。
恋仲じゃないのに無防備な寝顔を見られたのは、自分の理性が勝った事へのご褒美に感じ、目と心に焼き付ける。
だけど切なくて、せめても、と彼女の髪を一房掬って口づけてから、家康は自分の部屋に戻った。
欲望を自制し、彼女の心を守れた。
それには満足しているが、身体の内に未だ燻り続ける熱をなかなか冷ませなかった。