第19章 託された花2 【家康】
「上杉謙信が意識の無いあんたを牢に閉じ込めて二度と出さないとか言い出したから、佐助が俺の御殿に連れてきたんだ」
「だ…だめ…!早く謙信様の元へ戻らないと!」
名無しは切羽詰まった様子で布団から身体を起こした。
「熱が下がったばかりなんだから、まだ横になってて…」
「私が戻らないと誰かが斬られる」
言葉での制止を聞かず、名無しは立ち上がり駆け出した。
驚いて一瞬呆然としてしまった家康をよそに、彼女は縁側からそのまま裸足で地面に降りた。
「名無し!」
追いついた家康がその腕を掴むと、
「いやあああっっ!!」
張り裂けるような大きな悲鳴が上がった。
たじろいだ家康が手を放すと彼女は倒れ込む。
「だめぇっ!!私を見ないで!!触らないで!!」
名無しは両手で頭を抱えながら、悲痛な叫びを上げ続ける。
その身体はぶるぶると震えている。
そんな状態の彼女を前にして家康は固まった。
強い拒絶は、自分に触れた庭師が斬られそうになった事での恐怖心からだろう。
(一体…どうすればいい…?俺が無理に触れたら余計に心を傷つける…)
家康は名無しを見つめたまま数歩下がると、踵を返して廊下を駆け出した。
探し出し、連れてきたのは女中頭。
言葉少なくともすぐに状況を理解してくれ、
「姫様、大丈夫ですか?お体に障ります」
優しい声で呼びかけてから名無しに駆け寄り肩を抱いた。
慰めるようにしばらく背中を擦っていると、やがて悲鳴は止み、名無しはすすり泣き始めた。
「さ、お部屋に戻りましょうね」
立ち上がらせ、部屋に連れて行ってから女中頭は家康に目で微笑み、襖を閉めた。
家康が襖に耳をつけて中の様子を伺うと、すすり泣く声に混じり、
「お着物もおみ足も汚れてしまいましたね」
と、着替えさせる衣擦れの音がして、上手くやってくれているのを確認する。
精神安定作用のあるお茶を淹れてから部屋に戻り襖を細く開けると、察した女中頭がお茶を受け取り名無しに勧めてくれた。
様子が落ち着いてきて女中頭が部屋を出てからも、家康は気になって襖の外、廊下にずっと居続ける。
しばらくすると再びすすり泣く声が聞こえてきた。
(…ああ…どうしたらいい…?)