第2章 影の世界へ
「え、あ、あ……! あっち向いてるね! ごめんね!」
桜は勢いよく反対を向き、衣擦れの音にドキドキしながら床に視線を落とした。
程なくして水音がして、浴室に湯気が立ち上る。
「……ほんとに嬉しいんだ、瑞が来てくれて」
桜はぽつりと呟いた。
「ここにいるとさ、旦那様と陰間とまわしと、お客様としか話せないことが多くて。たまにお店の人と話すくらいかな。家族にも会えないし、友達も恋人もいないから別に、それでもいいんだけど……たまには陰間の桜じゃなくて、誰かに、普通に接して欲しかったんだよね」
「桜さん……」
「……陰間って何か知らない瑞にこんな話しちゃってごめんね。どうせすぐ陰間ってどんな仕事か知るだろうけど、なんだろ……瑞なら、ずっと一人の人としての接してくれそうだから。陰間だから、って言わないでくれそうだから
」
瑞が記憶喪失じゃなくてもね、と付け加えてあどけなく笑った。
瑞は自分より年下であろう桜の背負うものが何か底知れないものであることを感じつつ、寄り添いたく思っていた。
桜はすっくと立ち上がり、背中越しに問いかける。
「体洗えた? 髪も綺麗にした? ……よし! それじゃ行こっ!」
釜から、お湯がざぶんと溢れる音がした。
「……それにしても綺麗になったねえ」
浴衣を纏った瑞を風呂椅子に座らせ、桜は呟く。
「そうでしょうか?」
「絶対そうだよお……瑞、記憶失う前はモテたんじゃない? ほら、じっとしてー……ねえ、奥さんがいたりして」
瑞の伸びた髭を剃刀で丁寧に剃りながら、しげしげと顔を見つめる。