第9章 大人の事情
「でもダメじゃったな。結局何も上手くいかんかった。わしはほんまもんのアホじゃ」
瑞は返す言葉もなく、寂しげな撫子を見つめる。
「ここっちの目ぇ失って、金も稼げんごとなって……何も後悔しちょらんけどな……痛かったのう、あん時」
「撫子さん……」
「まあ、そういうことじゃ。人間忘れたいこともあるけえ……」
撫子はぽつりと呟き、屈託なく笑った。
「そげ無理して思い出さんでもええと思うぞ、わしは」
瑞は目をぱちぱちと瞬かせる。
「前言いよったじゃろ瑞。まだ何も思い出さんくてどげしたらいいか分からんち。でもこういう嫌〜な思い出なら忘れたまんまの方が良かろ?」
「あ……」
前に撫子と交わした会話を思い出す。
ここでの生活は楽しいが、時折、何も思い出せないのっぺりとした不安がまとわりついてくるようだと。
もし自分に家族や友人がいたら、心配を掛けてないか考えること。
雑談の中で何気なく吐露したそれを、撫子はずっと考えていたらしい。
「撫子さんは優しいですね」
「そげなことないけどの! まあ瑞色々気にすんなっちことじゃ。あんま気にしよったらハゲるぞ、ここのオッサンみたいになる」
「そんなそんな……」
瑞は手を振って否定し、くすくすと笑う。
撫子の耳が赤くなっていることに気付き、優しく目を細めた。