第1章 白と黒、灰と雨/前編(織田信長)
「こんにちは、お邪魔します」
「ああ、迦羅様。いらっしゃいませ」
日課の掃除を終えた後
私はとある御殿に足を向けた。
「今日も宜しくお願いします!」
元気に挨拶をしたところで
ちょうど御殿の主が顔を出した。
「討ち入りみたいな声出すの、やめてくれる」
僅かに眉をひそめた家康は
鬱陶しいとばかりに目を逸らした。
「ふふ、おはよう」
「あんた、他にすること無いわけ?」
「針子仕事も急ぐものは無いし大丈夫だよ」
「…そう」
面倒くさそうにしている割に
追い返したりしないところが家康らしい。
「さ、迦羅様どうぞ」
いつものように使用人さんに促され
陽当たりのいい庭へ出る。
塀の前に立てられた霞的を見ると
今日こそは、と自然に意気込んでしまう。
「急に何を思ったか知らないけど
…やっぱり、あんたには無理なんじゃない」
「せっかくここまで覚えたのに
諦めるのはまだ早いよ」
「あんたって本当に頑固だよね」
いつだったか、お遣いでここへ来た時
たまたま使用人さんが弓道具の手入れをしていた。
時々暇がある時には
家康に指導を受けているんだって。
(家康様は弓術の達人なんですよ)
そんな話を聞いたのがきっかけだった。
元々興味があったわけではなく
まして、戦で役に立ちたいと思ったわけでもない。
こういうものって
集中力も養えるし、精神が成長するというか
そんなイメージがあったの。
ちょっとしたことで揺さぶられる心の弱さを
私は少しでも変えたいと思ったのかも知れない。
「今日は当たりそうな気がするよ」
「あ、そう」
適当な返事をした家康が見守る中
なかなか様になってきた構えで的を見据え
力一杯に引いた矢を放った———
カツン……
矢は見事に届かず
的を支える支柱の手前に落ちた。
「迦羅様、今のは惜しかったですね」
「本当、もうちょっとだったのに!」
「…ほら、もう一回やってみなよ」
「うん!」