第1章 白と黒、灰と雨/前編(織田信長)
「家康と何かあったのか」
「何かあったわけじゃないんです。
ただ…なんとなくですけど
家康の言葉が引っかかっていて」
(あんたがもし〝それ″を使うとしたら
それは自分の身を守る時だけ。
…絶対、約束しなよ)
「言葉通りの意味だろう。
何を悩む必要がある」
「良くわからないんですけど
家康はもっと何か言いたいことが
あったんじゃないか、って」
「…ほう。貴様はなかなか鋭いな」
「それじゃあ、やっぱり何か?」
「恐らく家康は———」
信長様は少しの間を置いて
私にわかりやすいように
ゆっくりと話し始めた。
私が武器を手に戦場に出るなんてことは
家康も、そして信長様も思ってはいない。
だけど、私は私の持つ正義感の為に
後先考えずに飛び出して行くところがある。
冷静に見れば、それが危険なことだとしても
体が勝手に動いてしまうことが多々あった。
家康はそれを案じているのだろう、と。
「確かに…その通りですね」
「貴様は、武器を向けると言うことが
どういうことか解るか」
「えっ…?」
「敵意、そして———
殺意を向けると言うことだ」
……そうか。
私だって何度か刀を向けられたことがある。
その度に誰かに助けられて
こうして無事に生きているけれど
あの恐怖は——思い出したくもない。
「それを向ける者は
相手を傷付ける覚悟、殺す覚悟
そして同時に、自らも傷付けられ
殺される覚悟もしなければならん」
真っ直ぐに私を見据えた信長様の言葉が
痛い程に、その真実を私の胸に刻んだ。
信長様や皆は
そんな重過ぎるくらいの覚悟を持って
この先の時代を作ろうとしているんだ。
「おい。何をそんな顔をしている」
「え?あ、いえ…」
「案ずるな。俺が居る限り
貴様にその覚悟をさせるつもりはない」
伸ばされた手が頬に触れて
親指がゆっくりと肌を撫でる。
「だが——
約束を交わすのが家康とは気に入らん。
この俺と約束しろ。それで上書きだ」
そこでやきもち妬くんだ…?
でも、ちょっと嬉しいかな。
「はい、約束します」
「良し」
目の前の満足そうな笑顔が
堪らなく愛おしい。
その想いに導かれるままに身を乗り出し
そっと口唇を重ねた——