第1章 白と黒、灰と雨/前編(織田信長)
その日の夜——
文机に向かい書簡に目を通す信長様。
私は少し離れたところで
信長様の寝間着を繕っていた。
「………」
どうしてか解らないけれど
昼間の家康の顔と言葉が
喉元につかえているような気がした。
「どうした。今宵はやけに静かだな」
「…え?」
「何かあったのか」
「いえ、信長様がお仕事しているので」
余計な心配をかけまいと笑顔で答え
手元に視線を戻した。
すっと信長様が立ち上がる気配がして
すぐに私の目の前に腰を下ろす。
胡座をかき、頬杖をついた信長様は
射抜くような目で私を見ていた。
「あの、お仕事は?」
「終いにした」
そこから少しの沈黙が訪れ
妙な居心地の悪さが背中を上って来た頃…
「言え。何を考えている」
その表情を崩さず
真っ直ぐ見つめる信長様の目に
隠し通す気にはなれなかった。
「い、家康のことを…」
その瞬間、信長様の眉がぴくりと動いた。
「ほう。俺と共に居ながら
他の男のことを、か。良い度胸だ」
口元は薄ら笑っているけれど
目がものすごく不機嫌になってる——!
「へ、変な意味じゃありません!」
「では何だ」
「実は私……」
私はゆっくりと順を追って話し始めた。
家康のところで弓を習っているなんて
信長様にきちんと話していなかったから。
それなのに
「それならば知っている。
家康から聞いているからな」
「え?そうなんですか?」
「貴様が怪我でもしようものなら
俺に殺されるとでも思ったのだろう」
「こ、殺される…」
そっか。知ってたんだ。
私が自分から話さないから
敢えて何も言わなかったのかも。
「ごめんなさい信長様。
隠すつもりじゃなかったんですけど…」
「謝る必要はない。
興味を持って知らぬものに触れ
技術を身につけようとするのは良いことだ」
「…ありがとうございます」
「武芸に興味を持つとは
まるで予想外だったがな」
「そうですね、私もそう思います」
ふと
信長様が手を伸ばし
私の片方の手をぎゅっと握った。
「弓は紛れもない武器だ。
決して扱い方を間違えるな」
…あれ……?
目の前の信長様の顔が
昼間見た家康と同じように見えた。
「はい…気をつけます」