第1章 *File.1*
「……雪乃は」
「?」
「結婚はしてた?恋人は、いたの?」
「恋人はいたことはある。けど、此処に来る前は……もう何年もいなかったよ」
少し甘めに淹れてもらった、カフェオレ。
『久しぶりに新しい豆を買ったから、一緒に飲まないか?』
と誘われたのは、30分ほど前。
「そっか」
「……景光は?」
「オレは……交番勤務の時が、最後かな?」
「ふぅん」
きっと、素敵な女性だったんだろうな。
想像しただけで、羨ましくて仕方ない。
景光からの愛を独り占め、出来るなんて。
「それはそうと、明日少し部屋を片付けたいから手伝って欲しいんだけど、いいかな?」
「明日?」
「非番だから」
「お役に立てるかどうか分かりませんが、私でよければ」
「じゃあ、頼んだよ」
珈琲カップを片手に、景光は穏やかな笑みを見せた。
ドキッとときめく反面、この笑顔を素直に受け入れても、信じてもいいのかと、心の中の天秤が左右に揺れて止まることはない。
だって、彼にとって私は、不審者の極みだ。
信用したいのは、信用してほしいのは、私の身勝手な願い。
景光の気持ちじゃない。
ましてや、彼は公安の潜入捜査官。
簡単に赤の他人を信用するはずがない、でしょう?
最終的に判断を下すのは、私じゃない。
甘えてはダメ。
信用してはダメ。
何時何処にいても、私はひとりぼっち。
私自身が一番分かっていること。
誰にも油断も隙もみせてはダメ。
大丈夫。
何時何があったとしても、覚悟は出来てる。
そうでしょう?
あの時、本物の拳銃を生まれて初めてこの目で見て、この手で握り締めた瞬間に。
無機質なあの冷たさと硬さは、今でも鮮明に思い出せる。
「はい」
小さく返事をして、マグカップに残るカフェオレを飲み干した。