第3章 優しく愛でて、甘く溶かして
名前の事は、考えた事はなかった。
今牛先輩は今牛先輩だし。何より、下の名前はハードルが高いと言うか、恐れ多いと言うか。でも、呼んではみたい。
「練習……しときます……」
「ふっ、何だそれ」
最近、分かりやすく笑ってくれるようになった今牛先輩には、前より気持ちを激しく持っていかれるようになる。
どんどんハマっていくのが、自分に自信が持てない分、少し辛くもある。
手を繋いで歩く街は、新鮮に見えてくすぐったい。
ゆっくり街を見て歩くなんて、なかなかしないし、時間がゆったり流れるのが楽しい。
今牛先輩が飲み物を買いに行ってくれている間、私は大人しくベンチに座って待つ。
「こんにちわー、おねーさん一人?」
言われ、声のした方に顔を向けると、向こうの目が開かれ、私もドキリとする。
「お前……か?」
この男は、街を徘徊し始めた頃に出会った男で、なかなかに酷い扱いを受けていた事を思い出した。
「世間は狭いねぇ。てか、へぇー……ちゃんとすりゃぁ、それなりに見えるんだな、女は怖ぇなぁ……」
垂らしている髪を掴まれて、引っ張られる。痛みに顔が歪む。
「男引っ掛けに来てんなら、また可愛がってやろーか? お前も体、持て余してんじゃねぇの? それとも、こんなお洒落してるって事は、もう新しい奴いたりすんのか?」
顔が近づいて、いやらしい笑みで言われて、私は抵抗するように男の胸を押し返すけど、力の差が明らかでビクともしない。
こういう時、私は過去の自分の行動を呪う。
こんな時に、こんな男に会うなんて、本当に運が悪い。
「関係ないでしよっ……離してっ……」
「生意気言うようになったじゃねぇかよ。昔は従順で少しは可愛気あったのによぉ。今の男の影響か? ますますひねり潰したくなるなぁ……」
何を言ってるんだろう。この男は頭がおかしいのか。
心底悪どい顔をして嫌な笑みを浮かべる男に、何も出来ない自分の無力さに涙が滲む。
「そんな男やめて、俺と来いよ。俺なら、心も体も満たしてやるぜ? お前は普通なんて似合わねぇし、満足出来ねぇだろ?」
勝手な事ばかり言う男に、腹が立って来る。
こんな悪魔みたいな男に、今牛先輩の事を悪く言って欲しくなくて。力いっぱい睨みつけるしか出来なくて。