第3章 記憶喪失の女
「はぁー、息苦しいよねー」
「いるだけで迷惑だっての!」
「情婦様と一緒に仕事なんかしたくないよね」
襖を閉めた途端に飛び出す陰口に、体は固まる。
(平気、何を言われても大丈夫。こんなのまだマシな方)
どの時代に行ってもいじめはある。
学校の同級生、部活の先輩、そして身内からも…
いじめに遭う方にも問題はあるなんて言う人がいるけど、その人はきっとこんな心が血を吐きそうな経験をした事が無いからそう言えるんじゃないだろうか?
時代を変えてもいじめられる人間は、一体どこに行けばこの自分の全てを否定したくなるような闇から救われるんだろう…?
廊下を歩きながら庭先を確認していると、池の中に浮いている着物を見つけた。
「せめて土の上にして欲しかったな…」
水に濡れてしまっては売り物に出来ない。
履き物を履かず素足のまま庭へ出て着物を膝上まで捲り上げた。
「ごめんね、ちょっとお邪魔するよー」
池の中を泳ぐ鯉に一声かけて池に入った。
「冷たっ!」
思っていたより冷たい水に思わず声がでる。
水を含んだ着物も重くて持ち上げられそうにない。どうせもう売り物にならないからと、池から引きずり出し、そのままズルズルと引きずって、縁側まで戻って来た。
「仕事に戻るのやだな…」
どうせこの着物の事で針子頭から嫌味を言われるに決まってるし…
はぁーっと、全ての鬱憤を吐き出すように大きなため息をついた。
「大きなため息」
背後からぷっと吹き出す音と声がした。
振り返ると家康が立っている。
「あ、家康…」
「……なんか凄い事になってるけど大丈夫…?」
着物を捲り上げ水に濡れた私の脚とその下で泥と水まみれで無惨な姿の着物を交互に見ながら、家康は緩めていた顔を一気に曇らせた。
「ああ、これ?風で飛んじゃって…」
「へぇー、城の中でも風が吹くなんて、針子部屋の立て付け悪いんじゃない?」
「ふふ、そうかもね。……ほんと、嫌になっちゃう」
乾いた笑いと大きなため息がまた漏れた。
「……いつから?」
「え?」
「いつからこう言う事されてるの?」
私に質問しながら、家康は私の横に座った。
「行動?それとも、陰口?」
“こう言う事”がどこまでを含むのかが分からない私は、質問を返した。