第3章 記憶喪失の女
「今ので分かった。もう随分前からなんだね」
綺麗な翡翠色の目を細めて、家康は嫌悪感を顔に滲ませた。
「どうだろう?」
「俺も似たような経験をしたことがあるから分かるよ。する方は、される側の気持ちなんかこれっぽっちも考えてないからね」
「そうなんだ…」
そう言えば、徳川家康は幼少期に人質に出されて苦労したって歴史で習ったっけ。
「針子仕事、辞めれば?そんな思いまでしてあんた仕事しなくていいでしょ?」
「うーーん、そうなのかな?」
「あの人の側にいて働くとかって、あんた位でしょ」
「今までの人は違うの?」
「さぁ、あの人が誰かを側に置いたのはあんたが初めてだから…、だけどあの人が結構すごい人って分かってないのあんた位だからさ…」
「だって、じゃあ何して一日を過ごせばいいのか分からないし、こんなこと別に大したことじゃないから…」
もっと酷いことをされて来たから、これはまだ可愛い方だ。
「ふーん、記憶がないって聞いてたけど、まるで昔にもあったみたいな言い方だね」
家康の目が探るように光った。
(あ、そうだ、私記憶喪失中なんだった)
「さぁ、どうなんだろう?心の隅に嫌な記憶としてなんとなく残ってるのかもね」
「………」
じーっと横から私を見つめる家康の視線が刺さる。
最近は武将のみんなも優しくて出会った頃の刺々しさも無くなってたからすっかり緊張が緩んでたけど、自分が疑われてるってことを忘れてはダメだ。
でも心は正直に、優しさに触れると緩んでしまう。
「これ…」
家康は手拭いを私に差し出した。
「え?」
「脚、そろそろ拭いてしまってくれる?目のやり場に困る」
「あっ、ごめん。ありがとう」
手拭いを受け取り脚を拭いて着物を閉じた。
「あまりに酷いなら信長様に言いなよ」
「うん、ありがとう」
家康が去り私も立ち上がると、同時にクスクスっと笑い声が聞こえる。
「さすが情婦様ね。信長様だけでなく家康様までその色香で惑わすなんて…」
「脚を出して誘うなんてはしたないこと、私にはとても考えつかないわ」
(ああ、めんどくさい…)
もう何をしていても、男を誘う女につなげられてしまう。
それでも私には何も言い返せない。
帰蝶のためならなんだってするって、言ってしまったんだから……