第3章 記憶喪失の女
これも、計算の内なの?
あの時みたいに、冷たく突き放せば私が縋り付いて言うことを聞くって思ってるんでしょ?
『………っ、ぅ』
言葉よりも先に涙が溢れた。
出会ってから今日までの彼の優しい言動が全てこのためだったのかと思うと、今まで受けたどんな仕打ちよりも心が打ちのめされた。
『紗彩……』
背を向けていたはずの帰蝶が振り返り私を腕に閉じ込める。
『っ、いつか、帰蝶の所へ戻れる?』
『計画が上手くいけば迎えに行く。それに、時折会いに行く』
『本当?』
『本当だ』
『手紙は?やり取りはできないの?』
『それはできない。お前の物は今後全てがチェックされると思っておけ』
『じゃあせめて、帰蝶からのメッセージだって分かる何かを送って?』
『例えばなんだ?』
『イラストでいいの。元気か?はスマイルのイラストで、好きだよ。はハートマークとか?』
『……そんな恥ずかしいことは出来ん』
『あ、じゃあ蝶のマークでいいよ。帰蝶の蝶のイラスト。これを送ってくれれば、帰蝶が私を好きって言ってくれてるって思う事にするから。それにこれなら綺麗な絵だねってなってバレないでしょ?』
別に好きだと言ってくれなくても何でも良かった、帰蝶との関わりがまだあるのだと信じられるのなら…
『……分かった。そうしよう』
帰蝶はそう言ってくれたけど、そのメッセージが届いたことは、まだ一度もない。
そして最後に帰蝶は私の唇を人差し指の腹で押してこう言った。
『ここだけはあの男に許すな。俺のためにとっておけ』
『……っ、うん、約束する』
何故か急に見せた独占欲に心は余計に複雑に揺れた。
それでも帰蝶は何の躊躇いを見せる事なく、私が本能寺の中へと入って行くのをあの萌黄色の瞳でじっと見つめていた。
そして、信長様に命じられた政宗の馬に乗せられ安土に連れて行かれた私は、秀吉さん達武将から間者かも知れないと疑いの目を向けられたが、記憶を失っていて名前以外何も思い出せない事と、信長様が私に興味を示し側に置かれた事で、その目の鋭さも段々と緩んで行った。