第3章 記憶喪失の女
帰蝶は全ての手筈を整えていて、私は帰蝶に言われた通り本能寺へと入り、倒れていた信長様を助け出した。
「女、貴様は誰だ?」
「私は………」
“織田軍の中では記憶を失ったフリをしろ。あれこれ話す内にボロが出るやもしれんからな”
そう言った帰蝶の言葉通りに、
「分かりません。気づけばここにいて…あなたが倒れていました」
記憶喪失の女を装った。
「俺が、誰とも知らずに助けたと言うのか?」
「?……はい。存じ上げません。思い出せるのは唯一自分の名前だけ..。私は、紗彩と申します」
「紗彩か。俺は織田信長だ」
「織田…信長様………?」
「何だ、本当に分からんのか?」
この時代、彼のことを知らぬ者は恐らくはいないのだろう。だから、分からないと言った態度を見せる私に信長様は興味を抱いた。
「ふっ、面白い。貴様がどんな女かはこれからじっくりと確かめる」
逞しい腕が私を捕らえて、誰かを呼んだ。
「政宗、この女を安土まで連れて来い。俺は先に戻る」
「はっ!」
帰蝶の思惑通りに物事は進んで行く。
それは同時に、私が帰蝶から離れて信長様のものになる事を意味していた。
『織田信長を助けた後、私は帰蝶の元に戻れば良いのよね?』
ただ信長様を助ける。それだけが私の使命だと思っていたのに…
『いや、紗彩お前はあの男の懐へと入り込め』
『………え?』
『あの男は必ずお前を気に入る。あの男に尽くして信じ込ませ、あの男の寵姫となれ』
帰蝶の口からは信じられない言葉が飛び出した。
『寵姫になれって……私に、他の人に抱かれろってこと?』
『抱かれずとも済む方法があるのならば良いが、他に思いつかなければその方法しかない』
『その方法しかないって…本気?』
『嫌ならば断って構わん。お前の人生だ。ここからは好きにこの時代を生き抜け』
話は終わりだと言わんばかりに帰蝶は白い外套を翻して私に背を向けた。