第9章 ぬくもり
「…………」
信長様は分かりやすく顔を顰めて手早く甲冑の血を拭き取ると、その手拭いを桶に投げ捨て私の方へと歩いて来た。
「行くぞ」
「は、はい」
「待ちなさいっ!」
私に声をかけ行こうとする信長様を母上様が呼び止めるけど、信長様はその声に構わず廊下を歩き続ける。
「信長っ、そなたのしている事は戦ではない!ただの人殺しですっ!」
その言葉に、ピタリと信長様は歩みを止めた。
親子の共有する空間とは思えないほどに緊迫した空気が流れる。
子が親に、親が子に向けるにはあまりにも寂しく冷たい視線が絡み合う。
確か帰蝶は、信長様は愛情に飢えていると言っていたけど、その理由はここら辺にあるんだろうか?
「そなたは必ずや地獄に落ちる!兄弟を殺し、僧侶を殺し、罪のない人々を殺して来たそなたに明るい未来などは訪れませぬ!この母がそれを許しはしませんっ!」
甲高い声が響き、再び嫌な沈黙が流れた。
「……いつまでこの城にいるつもりだ」
そしてその沈黙を、信長様の低い声が破る。
「なっ!わたくしは其方の身を案じて来てやったのですよ!」
母上様は更に感情的な声を上げる。
「案じている?貶しておるの間違いであろう」
二人の言葉のやりとりは知らない人が聞けば、憎み合っている者同士の言い合いに聞こえるだろう。
(こんな親子関係もあるんだ……?)
私は反抗期と言えるほどのものはなかったし、喧嘩をするほどの時を両親とは過ごせなかった。それに身を寄せていた親戚の家では、叔母さんは私の従姉妹のことは、それはそれは可愛がっていたように思う。だからこんな感情をぶつけ合う様な親子関係は初めてで、そしてどちらもとても傷ついている様に私には見えた。
(あ、手が……)
ふと目に入った信長様の手がとても寂しそうに見えて、そっと手を伸ばして信長様の手を握った。
「!………」
信長様は驚いた顔を私に向けたけど、
「………っ、」
すぐさまその手を振りほどいた。
「紗彩、貴様は部屋へ戻れ」
「……はい」
信長様に向けられた明らかな拒絶にただ頷くしかできない。
「母上、まだ小言を言い足りぬと言うのなら言い飽きるまで聞いてやる。後で広間に来られよ」
そう言うと、信長様は早足で行ってしまった。